2022.04.05
鶴岡義雄 女性美を追求した画家
女性をモチーフに描く作家は多くいますが、今回はモダンでエキゾチックな独自の女性美を創り出した鶴岡義雄(つるおかよしお)をご紹介いたします。
1917年(大正6年)茨城生まれ、父は義太夫の名手、母は三味線の師匠、芝居小屋等を経営してきた芸能一家に育ちます。林武(はやしたけし)に師事し洋画を学び、後の二科会幹部の織田広喜(おだひろき)や鷹山宇一(たかやまういち)らとも知り合います。1941年(昭和16年)日本美術学校を卒業し、同年に二科展に初入選。その後、二科展には多数出品して会員に推挙されるまでになり、2000年に二科会理事長・2006年には同会名誉理事長に就任するなど、2009年に亡くなるまで一貫して二科会を中心に活動してきました。
作品について
戦時中は写実的な風景や人物を多く描いていましたが、1950年代頃からシュルレアリスムやキュビスム風の描写なども次々に取り組みました。
戦後1973年に渡欧してモダンなパリの女性像や風景画をシリーズで描き、1974年(昭和49年)には、二科展でパリ時代の集大成「ソワル・ド・パリ」が内閣総理大臣賞を受賞します。
この時期に鶴岡の耽美様式が確立され、名品が生まれていきます。
その後、同じ感覚で日本の伝統に根ざした舞妓を描いたシリーズを描いていき、終生のテーマとなりました。
「マドモアゼル」シリーズ
1973年、渡仏しパリにアトリエを構えます。1974年には家族ぐるみで凱旋門近くのアンリ・マルタン街に落ち着きます。その頃に制作されたシリーズがパリジェンヌを描いた「マドモアゼル」シリーズです。マドモアゼルといってもただのお嬢さんではなく、シャープな鼻筋や輪郭が印象的で、パリの薫りが漂う洗練された魅惑的な女性が感じられます。 鶴岡の作品の中でも今なお根強い人気のシリーズ作品です。
「舞妓」シリーズ
純日本式の様式美を描いた舞妓の構想が生れたのは、パリを第二の故郷のようにして制作に没頭した時でした。
鶴岡義雄が描く舞妓は、日本画家の描くものではなくあくまで西欧の造形を基本としており、今にも息づかいが聞こえてきそうな動的な構成でその独自性が高く評価されました。
どの作品もマドモアゼルシリーズ同様、色使いが華やかで凛とした雰囲気と上品さがあります。
「マドモアゼル」シリーズから終生のテーマとなる「舞妓」シリーズまで、エキゾチックで魅惑的な画風を多く残した鶴岡義雄の作品は、今でも多くのファンを魅了して離しません。