2024.11.12
魂のピアニストと呼ばれた画家 フジコ・ヘミング
2024年4月21日、フジコ・ヘミングは92年の生涯を閉じました。
今回は、ピアノと動物を深く愛し、「魂のピアニスト」と称されるとともに画家としても活躍したフジコ・ヘミングについてご紹介いたします。
ピアニスト:フジコ・ヘミング
フジコ・ヘミングは、スウェーデン人の画家である父と、ピアノ留学中の日本人の母の間にドイツ・ヴァイマル共和政下のベルリンで生まれました。生後ほどなく日本への移住するも、父は日本での暮らしにになじめず、家族3人を残して1938年に一人でスウェーデンに帰国。その後、フジコは母親と弟と共に東京・渋谷区穏田(おだ)で暮らすことになり、幼少期から母の手ほどきでピアノを始めました。
小学校3年生の時、NHKラジオに生出演し、演奏を披露。天才少女として話題になったエピソードが残っています。14歳の時、戦局の悪化により岡山県に疎開し、学徒動員されることもありました。終戦後、高校在学中の17歳でデビューコンサートを果たし、東京藝術大学音楽学部に入学。在学中に様々なコンクールで入選や入賞を重ねました。その後、ベルリン国立音楽学校に入学し、卒業後はヨーロッパに住むこととなります。
フジコは16歳の時に中耳炎の悪化により右耳の聴力をすでに失っていましたが、その後、ヨーロッパ時代にリサイタル直前に再び聴力を失うというアクシデントに見舞われました。貧しさから真冬の部屋に暖房をつけることができず、その影響で体調を崩し、左耳の聴力も失ってしまったのです。演奏活動を一時中断せざるを得なくなり、2年間はまったく聴力が戻りませんでした。
しかし、彼女は希望を捨てず、耳の治療を続けながら音楽学校の教師資格を取得。その後、ピアノ教師として働きながら、欧州各地でコンサート活動を行い、ピアノに向かい続けました。
1995年、63歳の時、30年以上にわたる海外生活に終止符を打ち帰国。
1999年には、彼女のピアニストとしての軌跡を描いたNHKのドキュメンタリー番組『ETV特集 フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』が放映され、大反響を呼び、日本においてフジコ・ヘミングの名が広まりました。
画家:フジコ・ヘミング
神様はフジコに聴覚障害や国籍喪失など過酷な半生を与えましたが、同時に音楽だけでなく「絵を描く」という素晴らしい才能も授けました。幼少期、彼女は日本画の画家であった叔母に預けられることが多く、父の影響もあって、預けられると水彩画や素描を楽しんでいたそうです。彼女の作品は、天性の優れた描写力で描きたいものを個性的にデフォルメし、自由で伸びやかなタッチで形を作り上げ、見る人を暖かく包み込むような心地よさがあります。
フジコは長年にわたり動物愛護活動にも貢献しており、その優しさが作品にも色濃く反映されています。彼女の絵には猫や犬などの動物への深い愛情が表れており、特に猫やピアノを弾く少女の絵は多くのファンに愛され、象徴的な作品となっています。
今年、帰らぬ人となったフジコ・ヘミング。しかし、ピアノ、絵画、動物を愛し続けた彼女の作品がある限り、私たちの心の中で永遠に生き続けることでしょう。
10月には、彼女を描いた映画が上映されています。フジコ・ヘミングに興味をお持ちの方は、ぜひ鑑賞されてはいかがでしょうか。