2021.10.12
闇に向き合い続けた画家 鴨居玲
闇は人間にとって恐怖の対象でありながら、同時に人間を強く惹き付けるものといえます。ホラー映画、ホラー小説、ホラーゲームが現代でも大きな人気を博している事からも、それは明らかではないでしょうか。そして、それは絵画をはじめとした芸術においても同様です。世界的な画家であるゴヤは、神話をモチーフにして生まれた我が子を食らうサトゥルヌスを描きました。日本的な幽霊のイメージを定着させたと言われている江戸時代を代表する画家である円山応挙は、静かながら見ていると背筋が寒くなる様な幽霊画を残しています。
今回ご紹介する鴨居玲も、暗く陰鬱でありながら、その強烈な闇が見る者を引きずり込む様なインパクトを持った絵を世に送り出した洋画家の一人です。
画家としての苦悩の旅
鴨居玲は、出生時に出生届けが提出されなかった為に現在でも生年月日や出生地が曖昧とされています。ともあれ、新聞記者の父を持っていた鴨居は文化人と関わる事も多く、画家を志していきます。1946年に現在の金沢美術工芸大学である金沢市立金沢美術工芸専門学校に進学して宮本三郎に師事し、在学中には二紀展に入選しています。しかし、早くから才能は認められていても鴨居自身は自分の画風が確立できていませんでした。油彩画にも行き詰まり、パステルやグワッシュの制作を試みた時期もあります。そういった制作の苦悩を打開するために1959年頃から海外を渡り歩き、その中で積み上げた経験が作品に重厚な深みとしても現れ、1969年に新人洋画家の登竜門ともいわれる安井賞と昭和会賞を受賞して美術界に躍り出ました。その後も多くの苦悩を抱えながら、1985年に亡くなるまで画家として作品の制作を続けました。
闇
おどろおどろしい作品のイメージとは相反したハンサムな容姿、少年じみた言動もあって人懐っこく、ユーモアも解する魅力に溢れる人物が普段の鴨居玲という人でした。そして、作品に向き合う時は生と死を見つめ、人間の本質的な部分でもある不安や恐怖と相対し、人生について自問自答を繰り返しながらエネルギーをすべて出し切る様に絵を描くのが鴨居玲という画家でした。あるいは、狂気的とも言える程に人生の暗さや闇を塗り込める様に絵に向き合い続けた事や、明るく素敵で他者を魅了する性格でありながらも厭世的で悲壮感を漂わせる一面という二極性によって鴨居玲は自分自身を追い詰めてしまったのかもしれません。
しばしば自殺願望を口にし、自殺未遂を繰り返していた鴨居は1985年に自宅で排ガスにより亡くなりました。《1982年 私》は、多くの意味で鴨居玲という画家の集大成といえると思います。表面的な意味での絵画作品としては勿論ですが…暗い色調の中で明瞭に浮き上がる真っ白なキャンバス、完成を待ち望む周囲の人々の期待と重圧、それに囲まれる自分という構図は鴨居玲自身の苦悩や苦痛を強烈に体現していて底冷えする様な深い闇と恐ろしさを感じます。
恐ろしく…しかし、そこから目が逸らせない、それから目が逸らし難い。暗く陰鬱であるのに、恐怖や不快感とは違うものを私達に与えてくれる魅力が鴨居玲の作品には有ります。それは闇や恐怖を見つめて対峙する事で克服しようとする人間の本能に根ざす感覚であるのかもしれないし、絵を描く事に苦痛を感じるまでに自分を追い詰めてしまう程、魂を塗り込める様に真摯に作品の制作に取り組む事で宿った絵に対する鴨居玲の情熱を感じられるからかもしれません。