2020.03.24
虎を極めた孤高の画家 大橋翠石
富士山を描く画家と言えば○○、美人画と言えば○○、桜を描くのは○○・・。
皆さんは誰が思い浮かびますか?
富士山を描く人はたくさんいるので、なかなか答えは合わないでしょう。
虎を描く画家 大橋翠石
美人画であれば答えは合うでしょう。いっせいのーで、「しょう、しんす、とうごう、、、」合わないですねー。
桜は流石にピタリと答えが合うでしょう。いっせいのーで、「ちな、ちな、ちな、ちな、木村」そうか、中島千波さんだけじゃなく、確かに木村圭吾さんも桜だなぁ。なるほどなるほど。
じゃあ、そろそろ答えが一致するお題を。「虎を描く画家と言えば?」
「翠石、翠石、翠石、翠石、翠石」
ピッタリ!!
そうです。今回は虎と言えば翠石の大橋翠石(おおはいすいせき)を紹介します。
江戸時代まで遡れば虎を描いた画家は、円山応挙、長沢芦雪、岸駒などの各時代を代表する画家がいますが、やはり虎と言えば大橋翠石です。
岐阜県大垣市で染物屋の家に生まれた翠石は、父の影響で幼い頃から絵を描くことを好んだようですが、どうして「虎」にたどりついたのでしょうか。あまり知られていないようですが、『岐阜県の美術』(郷土出版社)では次のように記しています。
虎に魅せられた大橋翠石
「明治20年の大垣中町(現柳原)の大火の跡地か、24年の濃尾震災による火事の跡地か定かではないが、火事の跡地に動物の見世物興業が来て、虎を見せたという。翠石ならずとも当時の人々には大変な驚きだっただろう。虎の姿に魅せられた翠石は、十日ほども通って虎を克明に写生し、たちまち人の噂になったという」
この運命的な出会いが無ければ「虎の翠石」は生まれていなかったかもしれませんね。
その後は明治33年パリ万国博覧会に出展した「猛虎図」で日本人唯一の金杯という最高の賞や国内外での受賞を重ね「虎の翠石」の地位を確立していきました。
神戸に移り住んだ大正期に入っても翠石の虎は評判で、当時「阪神間の資産家で翠石の作品を持っていないのは恥」とまで言われたといいます。
それ程の人気を誇った翠石ですが、文展・帝展・院展といった権威ある国内の展覧会には出展することはなかったようです。
大橋翠石の展覧会
少し先ですが「明治の金メダリスト 大橋翠石〜虎を極めた孤高の画家〜」が、2020年4月18日(土)から5月31日(日)まで兵庫県立美術館にて、その後、7月18日(土)から8月30日(日)まで岐阜県美術館で開催されるようですので、是非翠石の虎に会いに行きましょう。