2022.05.10
美しさを求め続けた画家「金子國義」
創作の原点は「自分のまわりを気に入ったもので飾りたい」という思いでした。
家具やインテリアだけでは飽き足らず、美しいもので回りを満たしたいという欲求で、彼は絵を描き始めました。今回は独自の世界を構築し美学を追求した画家、金子國義をご紹介します。
前衛芸術家とともに時代を切り開く
高校の授業中は教科書の余白にマネキンの顔やハイヒールなどのモード画を描くことに熱中していました。高校卒業後は、日本大学藝術学部デザイン学科に入学し、歌舞伎舞台美術家の長坂元弘に師事し、舞台美術を経験しました。
日本大学藝術学部デザイン学科を卒業した後は東京・麹町で一人暮らしを始め、新宿のジャズ喫茶に通い、川井昭一、四谷シモン、白石かずこ、篠山紀信、コシノジュンコ等の芸術家と交流をもちます。その後、グラフィックデザイン会社に入社するも3ヶ月で退社、独学で絵を描き始めると、この頃知りあった詩人の高橋睦郎に譲り渡した一枚の作品が、小説家・澁澤龍彦の目に留まり「O嬢の物語」の挿絵を手がけることとなります。
また、友人である川井昭一、四谷シモンらも、澁澤と金子の出会いに刺激され、作風に大きな変化が起こり始めます。こうして金子は前衛芸術家たちとともに時代を切り開いていきました。
代表的モチーフとなった「不思議の国のアリス」
澁澤の紹介により、銀座の青木画廊で個展「花咲く乙女たち」を開催した時、イタリア・ミラノから来日していたナビリオ画廊の主人・カルロ・カルダッツォの目に留まり、ミラノでの個展を依頼されます。ミラノでの個展では会期中にほとんどの絵が売れ、イタリア在住の日本人美術家たちとも交流を持つようになりました。大森に転居した頃、足を骨折した金子は、占い師の勧めで西に方違えをするため、再びミラノへ行き、作家のジョルジオ・ソアビと出会います。この出会いがきっかけで、絵本「不思議の国のアリス」をイタリアで刊行。以後、アリスは金子のイラストレーション作品の代表的なモチーフとなり、また金子自身もアリスに思い入れが強く、亡くなるまでアリスシリーズを描き続けことになります。最後に金子が「アリスシリーズ」を出版した時には、挿絵画家でありながら文章まで書いていました。
独特の制作方法からくる金子作品の魅力
金子の制作方法は非常に独特なもので、顔を描くことが好きということもあり、どんな絵でも顔から描き始めます。途中で筆を置いた作品でも、顔だけはしっかりと完成しているものが多いです。ツンと尖った鼻や官能的な唇、長く美しい弓のような眉やくっきり深い二重の切れ長の目……描かれる女性・男性には、一目見れば彼のものだと分かるような独特の魅力があります。またエロチックな美少女たち、バレエダンサーのようなしなやかな肉体を持つ美青年たち、本当に好きなもの、美しいと思ったもの、自分が陶酔できるものしか金子は描きませんでした。
才能にもお金にも友人にも恵まれていた金子だったからこそ、揺るがない芯を持って作品を生み出し、死後もなお様々なアーティストにも影響を与え続けているのかもしれません。