作家・作品紹介

美しさだけでなく内面をも描く 洋画家 中山忠彦


美しさだけでなく内面をも描く 洋画家 中山忠彦

先日、女性美の表現方法を追求し、白日会の会長もつとめた洋画家、伊藤清永先生の作品にご縁をいただきました。先生は既に亡くなっておられるので、作品鑑定の為、所定鑑定人である中山忠彦先生の元にお伺いさせていただきました。僅かな時間ではありましたがとても親切にしていただき、色々なお話を聞かせていただきました。今回はそんな魅力あふれる中山忠彦先生と作品のご紹介いたします。

先生は1935年に福岡県小倉市(現・北九州市)で生まれました。戦争の激化に伴い両親の出生地である大分県へ疎開し、県立中津西高校(現・中津南高校)へ進学する頃に木版画家である武田由平氏と出会い、絵画に興味を持ち指導を受けます。在学中に県展へ出品し入選するなど、当時より若くして才能の片鱗を見せ始めたと語られています。高校卒業と同時に上京し、かねてから強い影響を受けていた洋画家・伊藤清永に師事し阿佐ヶ谷洋画研究所へ入ります。同年に伊藤絵画研究所が開設され、世話役として入門。第10回日展にて「窓辺」が初入選、白日展にて「裸婦」「黄衣」が船岡賞を受賞するなど画壇にその実力を認められ、入門後4年で独立。翌年の白日展に「群像」を出品し、白日会会員に推挙されました。1980年(昭和55年)には白日展に出品した「妝う」(読み・「よそおう」)が、1996年(平成8年)には日展に出品した100号の大作「華粧」がそれぞれ内閣総理大臣賞を受賞。1998年(平成10年)には「黒扇」にて日本芸術院賞を受賞。日本芸術院会員となり、日展理事長、白日会会長も務めるなど現代日本洋画界で活躍されています。


美しさだけでなく内面をも描く 洋画家 中山忠彦

永遠のモデル妻 良江との出会い

先生の代表作といえば<女性>をモチーフにした絵画作品が真っ先にうかびます。
中山が永遠のモデル「良江」と出会うのは、1963年5月、写生旅行で乗った会津若松の近くのローカル線の中。列車を降りるとき、二つ前の席に座る女性に、東京の住所と、画家を目指していることなどを書いた紙切れを渡します。
「それは五月の十日前後、新緑のころでしたから、車窓から緑が照り映えて、なかなか雰囲気としては良かったんですね。」(「中山忠彦先生インタビュー」美じょん新報21 2001年6月)より
間もなくはがきが届き、2年後に二人は結婚。そして、「YOSHIEは私の外部にある私の内部です」とまでいわれる二人の歩みがスタートしました。以降、先生は夫人をモデルにして作品を制作し続けています。


美しさだけでなく内面をも描く 洋画家 中山忠彦

人物の美しさだけでなく内面をも描く

画家を志し始めた頃から人物画を主なモチーフとしており、初期には裸婦や人物群像なども描いていますが、30歳で結婚して以降の作品はヨーロッパのアンティークコスチュームに身を包んだ良江夫人をモデルとしたものが大半を占めています。「良江は私の外部にある私の内部です」とご本人が語るように、一つのモチーフを描き続ける事によって単なる写実的表現に留まらずモデルの内面的美しさや衣装の持つ歴史の重みに対する崇敬の念が作品から伝わってきます。


美しさだけでなく内面をも描く 洋画家 中山忠彦

衣装へのこだわり

先生の作品のもう一つの特徴として、実際にアンティークの衣装をモデルに着せて描いています。先生は<19世紀が女性が最も美しく装われた時代だからです。夫婦の日常を非日常の世界に持って行くための手段として衣装が大きな役割を果たしました。>と語っています。その時代だけにしか通用しないものは信じていないとの言葉から作品を制作する重みを感じます。現場主義を徹底し、対象物は出来る限り自身の目で見て作品を描いています。衣擦れの音が聞こえてきそうなリアリティをキャンバス上に表現しています。

そんな愛あふれる先生の作品は千葉市緑区のホキ美術館で鑑賞できます。
写実絵画を専門に収集・展示している当館は、様々な日本人画家のリアルな写実作品を楽しめますよ。

ホキ美術館HP

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