2023.05.16
祈りの風景画家 後藤純男

1930年(昭和5年)、後藤純男は千葉県の真言宗の仏門に生まれました。
僧侶となる修行をうけながら画家を志すようになり、中学を卒業すると小中学校で教諭をしながら生計を立てていました。16歳で山本丘人に師事し、絵画技術の基本を学び、その後、田中青坪に師事し、絵画技術を一層磨いていきます。この頃東京美術学校(現東京藝術大学)を2度受験しましたが、叶わず。この頃の後藤純男は人物画を得意とし、22歳の時に院展に人物画と風景画の2点を出品しましたが、人物画では落選。初入選した「風景」に舵を切り、風景画人生をスタートすることになりました。25歳頃になると実家の伝手などで京都や奈良の寺々に滞在し、朝の勤行後に日中はスケッチするという生活を約10年続けます。またこの頃に四国も含め50か所以上のお寺を回ったとされます。
代名詞「風景画の仏画」
30歳頃からは北海道へ渡り、約10年にわたりスケッチを重ねます。仏門に身を置いていた後藤純男にとって北海道という雄大な地は、己の小ささを知り、より精神を鍛えることに適してしたのかもしれません。また、仏教のルーツである中国など様々な場所へと赴き、積極的に自らの画題に取り入れます。
「上手く描いただけでは意味がない。そこに祈りがなければ…」この言葉にあるように後藤純男は神仏は自然の中に宿ると会得し、仏閣と季節を融合させた「風景画の仏画」を確立しました。自らの美の原点である寺や四季折々に見せる仏閣の表情。精神性が高い風景画は、まさしく仏道に生まれた後藤純男だからこそ描くことができたのです。
58歳~67歳まで東京藝術大学で教鞭を取り、その間に高野山東京別院をはじめに様々な寺院に作品を奉納しています。76歳で旭日小受章を受章。86歳で東京藝術大学名誉教授となり、その年に永眠。後藤純男の遺した絵画は現在でも芸術と宗教を結びつける作品として後世に受け継がれています。
そんな後藤純男の作品を一挙にご覧いただける美術館が北海道富良野町にあります。たまには都会の喧騒から逃れ、自然の雄大さと移ろい行く季節を感じ、後藤純男が伝えたい想いや祈りを感じてみてください。