2024.06.11
画業100年 奥村土牛の日本画
山種美術館所蔵の「鳴門」や「醍醐」で有名な文化勲章受章画家・奥村土牛(1889-1990)。長命だった土牛は最晩年がバブル期と重なり”101歳の富士“が注目を浴びて版画作品が多く作られ、目にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
遅咲きの画家
土牛は16歳で梶田半古の画塾に入門し、年近い先輩の小林古径とともに腕を磨きますが、院展の初入選は実に遅く39歳でした。その後40代半ばから日本画家としての名声が高まり、80歳を過ぎて「初心を忘れずに生きた絵が描きたい」と言い、富士を始め多くの代表作が90歳過ぎに描かれました。
人気の理由
ここで、現在も土牛の作品が高い評価を得ている理由を考えてみました。
1つ目は、強く奥深い絵であることが挙げられます。土牛の得意な技法の「たらし込み」は絵具を垂らしてにじみを狙う技法で、土牛はにかわ(岩絵具を紙に接着する材料)が濃く、植物の葉であれば艶やかで厚みを持った葉になります。このボリューム感と思い切った構図が力強い絵の印象を受ける理由です。また日本画はもともと、さらっとした質感で画面に余白があり、リアルさより対象を大づかみにとらえる絵画です。そのため画面からおのずと醸し出される風格や余情が表れますが、土牛はこの風格や味わいが圧倒的に優れているのです。
そして、絵画には作家が生きた時期・発表した時期と言うものが人気を左右することがあります。ちょうど土牛100歳の集大成を描いた時期と1986~1991年のバブル景気がぴたりと重なり、新作展・回顧展が数多く開催され、版画作品も大量に普及したことがあります。
特に富士山は一番日本人が好きなモチーフで当時の勢いのある情勢にも合っていました。市場で価格が維持されるためにはある程度の作品数が必要で、現在も流通が多い画家です。
「どこまで大きく未完成で終わるか」
土牛は、昭和の画家らしく、俳句や茶道、謡曲をたしなみ深い人間性を養っていました。なぜ風格が秀でているかのヒントが土牛85歳の時の言葉にありました。
「どこまで大きく未完成で終わるか。」
この厳しい姿勢で制作に臨み、決して自分に満足せず挑戦したからこそ描けた奥深さがあり、没後30年を過ぎても多くの絵画ファンに親しまれています。
◆土牛作品はこちらの美術館で鑑賞できます。
・山種美術館:https://www.yamatane-museum.jp/
・奥村土牛記念美術館:https://yachiho-kogen.jp/article/bizyutukan/