2023.02.07
画家人生97年 – エネルギッシュな画家 中川一政
ゴッホやセザンヌに触発され
「画家」のエピソードの多くは、幼少期から絵に触れたきっかけ、〇〇美術大学でを出て、✕✕に師事し…とこのようなストーリーをよく聞きますね。
今回ご紹介する中川一政は一風変わったエピソードをお持ちです。
21歳の頃、当時高価だった油絵具を友人から贈られ初めて絵を描いたとされています。その初めて描いた作品「酒倉」を展覧会に出品したところなんと入選。そして当時の洋画壇のカリスマである岸田劉生の目に留まったことがキッカケで画家への道を歩むことになります。
きちんと美術を学んだわけではない一政にとって絵画の世界は敷居が高いと思っていたそうですが、愛読していた文芸雑誌「白樺」でゴッホやセザンヌの作品を目にします。ゴッホやセザンヌも独学で絵画を始め、従来の技法とは違う独自の画法を確立した事を知り、師が居なくても画が描けるという自覚を得ます。
その後22歳で岸田劉生を中心に発足した草土社に加わり、白樺の武者小路実篤とも交流が始まると、30~40代にかけては新聞小説の挿画や本の装丁を中心に制作・活躍しました。
徹底した現場主義
56歳で神奈川県の南西部に位置する真鶴(まなづる)町にアトリエを構えます。真鶴町は三方を海に囲まれた自然豊かな町です。一政は海に背を向け防波堤にキャンバスを立て、ひたすら立ち並ぶ住宅と切り開かれた山肌を描いていきます。そこで誕生したのちの代表作「福浦港」は以後20年近く描き続けたと言われています。
また同時代に海のある風景を求め、九州、瀬戸内、ヨーロッパへも訪れ徐々に独自の画風を確立します。生命力ある薔薇や向日葵をモチーフにした作品も好んで描きました。ヴラマンクのフォービズムのような豪快な筆触にはどこかゴッホやセザンヌの影響がうかがえますね。
74歳で出会った風景、箱根連山の「箱根駒ケ岳」も以降15年描いた作品です。15年間箱根に通い四季の彩り・山の生命力をダイナミックに描き続けました。美術館所蔵の作品のキャンバスには当時の痕跡の枯葉がついていたりして、現場で絵筆をとる一政の姿が目に浮かびます。
真鶴への恩返し
82歳で文化勲章を授章した一政は90歳を過ぎ、長く暮らした真鶴町へ作品の寄贈を申し出て個人美術館の創設が決まります。
建築や寄贈作品の選定、図録の内容やチケットのデザインまで自身が指揮。一政のこだわりが詰まった“真鶴町立中川一政美術館”は1989年、96歳のときに開館しました。
翌年97歳で一政は息をひきとりましたが長い生涯の中で絵画以外にも書、陶芸、装釘、挿画、随筆など多彩な芸術分野に功績を残しました。
画家の思いと次世代への継承
2021年に特定非営利活動法人美術保存修復センター横浜が立ち上げた「画家の思い 継承を目指して-時を超えて伝える-絵画修復プロジェクト」。公共施設が持つ美術品の保存と継承を目的として、美術を愛好する人々からの寄付金をもとに修復を行うという活動での第1弾の修復作品として一政作品の「福浦」、「海の村落」、「福浦突堤」の3点の品が選定されました。
描かれてから60~70年が経過している作品を今後も末長く鑑賞できるよう、画面の汚れを除去し、油絵具の亀裂やキャンバスの歪みなどが修復されました。もとの絵を描いた作家を尊重し、加筆はしないというのが修復の鉄則。亀裂やヘラの擦れなど、もともと作品にあったものか、経年のヒビなのか見極めるために常に情報交換や議論をしながら作業を進められました。修復を終えた3点の油彩画が修復に使った道具や資料と共に2022年8月28日まで中川一政美術館の展示コーナーで公開されていました。
日本洋画史を独住邁進し、死の前年まで制作していた中川一政。
よみがえった作品と共に一政が芸術に向き合った情熱と功績を一緒に感じてみませんか。
◇真鶴町立中川一政美術館
神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1178−1
9:30~16:30(入館は16時まで) 休館日:水曜日(祝日の場合は開館)