作家・作品紹介

漫画の神様 手塚治虫

ストーリーは知らなくとも“鉄腕アトム”や“ブラック・ジャック”、“リボンの騎士”などのキャラクターは皆さんもご存じではないでしょうか。一度観たら印象に残るその国民的キャラクターは、日本のアニメーションの歴史を一変させ、アニメ文化隆盛の礎を築きました。そんなキャラクターを生み出した手塚治虫はいったいどんな人だったのでしょうか。

漫画の神様 手塚治虫

「オサムシ」という虫から

1928年大阪府豊中市に生まれました。本名は一文字の「治」。
幼少期の頃から親の影響で家に漫画が溢れかえるほどあり、絵を描く事も好きだった彼は見よう見まねで漫画を描き始めます。しかし学校では、痩せていてイジメに遭い、泣いてばかりいた事から「テヅカヨワムシ」と呼んでからかわれていました。そんな彼を癒してくれたのが昆虫でした。平山修次郎著「原色千種昆蟲譜」を見て「オサムシ」という虫を知り本名の「治」に虫をつけて、手塚治虫というペンネームにしました。


漫画の神様 手塚治虫

医師免許取得、そしてブラック・ジャックの誕生

先祖が江戸で医者をやっていた事もあり、両親の願いもあって医者を志しました。終戦の直前の17歳で大阪大学医学専門部に入学し医師を目指しますが、漫画が頭から離れず、講義中でも教授にバレないように漫画を描いていたそうです。そんな彼は医者になるか、好きな漫画を描くかで進路を悩んでいました。進路を決めなきゃならない瞬間に母から『本当にやりたいのはどちら?』と聞かれて『漫画が好き』と答えると、『漫画が好きなら東京に行って漫画家になりなさい』と母に背中を押されて漫画家になる決断をしました。

しかし実際に学校を辞めたわけではなく、1951年に23歳で医学専門部を卒業、さらに大阪大学医学部附属病院で1年間インターンを務め、24歳で医師国家試験に合格、医籍登録されました。「ブラック・ジャック」という傑作は、自身が医者であり、戦争を体験したからこそ生まれたのです。“医者はなんのためにあるんだ”といった名セリフは今日でも“命とは何か”を読者に問いかけます。


漫画の神様 手塚治虫

世界の『MANGA』・『ANIME』

現在でも、手塚治虫の作品や漫画・アニメは色あせることなく、世界各国で現地語の吹き替え版が放映され、長く愛され続けています。
近年では、スタジオジブリのセル画などとともに、国内外のオークションにおいて漫画やアニメが一つのジャンルとして確立されています。取引が年々増加していることからも、日本の文化に対する関心の高さがうかがえます。
弊社にも、ありがたいことに多くのお問い合わせをいただいております。手塚治虫の作品をお持ちであれば、ぜひ一度弊社にご連絡ください。

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