2021.04.06
浜口陽三 漆黒の芸術家
「カラーメゾチント」のパイオニア 浜口陽三。
世界的に有名な銅版画家としてその名前を広く知られています。
「カラーメゾチント」
“メゾチント(Mezzotint:英)”とは、数ある銅版画の凹版技法のひとつのことです。
銅版に数種の道具でキズをつけ絵を描き、黒のインクを塗り版を刷ります。キズの深さを加減することで、キズが残っている部分はインクの色が濃く現れ、表面が滑らかになった部分は白く浮き出るという効果があり、黒から白への微妙な諧調の美しさを楽しむことができます。
浜口はこの技術を用いひとつの作品のために、赤、青、黄、黒のインク4版による「カラーメゾチント」を開発しました。この4色によってより深みのある黒を表現しています。
メゾチントは銅の板を繊細に何ヶ月もかけて彫りますが、浜口が編み出したカラーメゾチントはさらにその上を行き、気の遠くなる多大な時間と労力がかかったそうです。「小さな作品でも油絵100号を描くのと同じぐらい時間がかかる」と生前インタビューで答えておられます。
さくらんぼシリーズ
浜口陽三の代表作といえば「さくらんぼ」のシリーズ。浜口陽三をご存知の方なら一度は見かけたことがあるのではないでしょうか。漆黒に浮かぶ丸くて赤いさくらんぼ。1つだけ小窓に浮かぶようなさくらんぼや、行儀よく整列したさくらんぼ、はたまた不規則に宙に舞うようなさくらんぼ。浜口によって表現された「さくらんぼ」たちをじっと観ると吸い込まれそうになったり、どこか哲学的な表現にも観えてきます。
浜口は生涯でおよそ200点にのぼる版画を制作しました。
1959年制作の『くるみ』は、ぽつんと浮かぶひとつのくるみと黒い帯のみの、非常にシンプルな構図で独特の緊張感を持つ作品です。『ポプラ』(1960年)は、幾重にもなる緑の野原に、ポプラの木がシルエットで映ります。長らくパリで制作していた浜口の作品は、今なおモダンで美しく、その卓越したセンスに驚かされます。1924年頃当時フランスで廃れていたマニエール・ノワール(メゾチント)を蘇らせた「長谷川潔」と、並び称される事の多い浜口陽三。「カラーメゾチント」はメゾチント技法を独自に探求し、手間のかかる作業を、気の遠くなるような精度、細やかさで重ねる事ができた、浜口ならではの表現と言えるでしょう。
浜口は主に果物や身辺の静物をモチーフにし、空間を広く取った画面構成で小さな対象物を際立たせる手法を好んで用いました。その卓越した技術が織り成す静謐な世界観は今日でも多くの人々を魅了しています。
浜口作品を観ることができる美術館
『ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション』
(東京都中央区日本橋蛎殻町1丁目35−7)1998年に開館。
『武蔵野市立吉祥寺美術館 浜口陽三記念室』
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目8−16 コピス吉祥寺A館 7F)
浜口陽三 (1909年~2000年)
1909年和歌山県生まれ。父 浜口儀兵衛は、ヤマサ醤油十代目社長。幼少時、父が家業の醤油醸造業に専念するため、一家で千葉県銚子市に移る。上京して中学に通い、1928年中学を卒業、東京美術学校彫刻科塑造部に入学。1930年梅原龍三郎に助言により同学校を中退。しかしその後フランスに渡りニューヨークにも2年間滞在。パリ滞在中は、アカデミー・グラン・ショーミエールなどの美術学校に一時通うが、もっぱら自室で油彩画を描いた。1939年、第二次世界大戦勃発のため帰国。戦後、銅版画の技法を学び、1951年、銅版画による最初の個展を開催(東京銀座、フォルム画廊)。1953年、私費留学生として再渡仏。1955年、4色版を使用した最初のカラーメゾチント作品「西瓜」を発表。1957年サンパウロビエンナーレで版画大賞受賞。1984年サラエボ冬季オリンピック記念ポスターに「さくらんぼと青い鉢」が選ばれる。1998年東京に「ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション」が開館。2000年12月逝去。