作家・作品紹介

浅野弥衛 “今”を描いた「線の画家」

引っ掻き技法による抽象画を生涯描き続け「線の画家」「モノクロームの画家」と呼ばれた浅野弥衛。今でこそ有名画家として認識されていますが、画家人生としては決して楽な人生ではありませんでした。

浅野弥衛 “今”を描いた「線の画家」

努力と才能

浅野は1914年に三重県鈴鹿市に生まれました。中学を卒業後、職業軍人となり、満州で1年を過ごし帰国。自宅隣に住む詩人、野田理一の影響や当時野田の所有していたヨーロッパの画集や雑誌を見て抽象絵画に関心を抱くようになり画家を志します。
本格的に絵の制作を開始したのは1950年ごろですが、実はその時はまだ勤務先の鈴鹿信用組合で働きながら制作活動をしていました。昼は会社員、夜は制作活動と寝る間も惜しんで制作活動に没頭します。その後、代表理事まで務めましたが45歳で銀行を辞職し本格的に画家としての人生をスタートします。浅野の画家としてのスタートは簡単なものではなく、しばらく美術展、個展を繰り返しましたが作品は売れませんでした。


浅野弥衛 “今”を描いた「線の画家」

“引っ掻き”技法の習得

画家人生に火をつけたのが、“引っ掻き”技法の習得です。厚く塗った絵の具に鋭い引っかき傷を作り、別の色を埋め込んで象嵌していくという浅野の独創的な抽象画が完成しました。浅野にしか生み出すことのできない抽象画が徐々に世の中の評価を高めていき、戦後美術の中で抽象画の代表的な作家として名を残します。
線による構成が特徴的ですが、同じ線を主体とした作品にもパステル、エッチング、鉛筆など多様な描画材を用いて新たな可能性にも挑戦しています。
「諦めず、自分の表現を続ける」、生涯求め続け世間から認められた浅野弥衛の美術に対する姿勢も未だ衰えない人気の一つであると思います。

日本には伝統的な絵画が存在しますが、浅野は“現代の日本の抽象”を描くことを意識していたといいます。戦後大きく変化していった日本の現代性と伝統的な感性を抽象画に落とし込み、生涯研究し続け“今”を重要視していた浅野弥衛。
さまざまな捉え方があるのが抽象画かと思いますが、三重県が生んだ抽象画の巨匠浅野弥衛の作品を是非見てみてください。浅野弥衛が表現したかった“今”を読み解くのは非常に有意義な時間にしてくれると思います。

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