作家・作品紹介

死の直前まで創作をした男 舟越保武

舟越保武は戦後日本を代表する彫刻家で東京藝術大学名誉教授。ブロンズ、石彫作家として有名です。
次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍されています。

死の直前まで創作をした男 舟越保武

生い立ちや出会い

保武の作品は父が熱心なカトリック信者でもあった為その影響を大きく受けており、作品にもキリスト教に関係している作品が数多く残されております。
産まれ故郷は岩手県二都郡。高村光太郎が翻訳したロダンの言葉を読んだのがきっかけで彫刻家を目指しました。
当時は石彫を扱う作家が日本に居らず、保武は近くに住む墓石屋の親方の所へ行き石彫の技術を習っていたそうです。
東京美術学校に入学。戦後の日本彫刻界を共に牽引していく彫刻家・佐藤忠良と出会います。佐藤忠良とはそれ以降も長きにわたって友情関係を育むと共に、ライバルとしてお互いを尊敬していきました。


死の直前まで創作をした男 舟越保武

カトリック信仰に裏付けられた宗教的主題の作品

宗教的主題が組み込まれた具象彫刻作品には崇高的な美しさがたたえられており、私がその中でも特に印象が残っているのが、中学の修学旅行先の長崎で出会った「二十六殉教者像」です。
こちらはブロンズ作品になりますが、戦国時代キリシタン禁止令が出された結果、捕縛され処刑された26人の殉教者をモチーフとして制作されたモニュメントです。
26人の表情はみなどこか悲しげな表情を浮かべており、作家の強い思いが込められているのを中学生ながらに感じ取ったのを覚えています。
この作品により、彫刻を始めたきっかけでもあるロダンの言葉を翻訳した高村光太郎賞を受賞し、一躍時の人となりました。二十六殉教者像の制作にはおよそ4年半かかったそうで、高さ5.6m、幅17mの26体の象は圧巻です。
皆様も長崎に行かれた際は是非足を運んでみてください。

生涯彫刻家

1987年、舟越保武は脳梗塞で倒れてしまい、その後遺症で右半身全体が麻痺してしまいます。利き手の右手が動かなくなりましたが、すぐにリハビリに励み左手でデッサンを描きはじめ、彫刻制作を続けました。
左手で彫る作品は荒々しくこれまでの保武の彫刻とは一線を画する作品を生み出していきます。作品量も多く、保武は利き手の右手が動かなくとも作品に対する熱意は変わらず、また、上がっていったのかもしれません。

2002年2月5日保武は90歳で永眠しました。その日は26人聖人が殉教したその日と偶然同じという運命的な日となります。
長きに渡り、利き手が不自由になろうとも数々の作品を残し、死の直前まで創作を続けた保武は日本を代表する彫刻家として日本の彫刻史に名を刻み、後進に道を作った偉大な作家であると思います。

市場にはブロンズ作品、デッサンが多いですが、石彫作品はあまり数がないため評価額が高い傾向にあります。舟越保武の作品のご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。

「二十六殉教者像」画像 sdart.jpより引用

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