2024.11.26
正義と希望を描きつづけた絵本作家 やなせたかし
皆さんは、子どもの頃に親しんだキャラクターといえば、どんなキャラクターを思い浮かべますか?
サブカルチャーが発展した日本では、長い年月にわたって愛され続ける魅力的なキャラクターが数多く存在します。アニメや漫画、絵本に登場するキャラクターから勇気をもらったり、生きる上で大切なことを教わったりした経験がある方も多いのではないでしょうか。
その中でも今回は、世代を超えて愛され続ける国民的キャラクター『アンパンマン』を生み出した、やなせたかしにスポットを当ててご紹介します。
戦争体験とアンパンマンの哲学
1919年、高知県に生まれたやなせたかしは、中学時代から絵に興味を持ちはじめ、高校では図案科に進学しました。戦時中、彼は兵士として暗号解読や宣撫活動に従事しますが、その中で経験した壮絶な飢餓状態が彼の人生に大きな影響を与えました。終戦後、やなせは正義に対する価値観があっけなく覆される現実を目の当たりにしました。この経験をきっかけに、のちにアンパンマンのキャラクター像の根幹となる「本当の正義」について深く考えるようになります。彼にとって「本当の正義」とは、争いで勝利を収めたり、悪を打ち倒したりすることではなく、飢えに苦しむ人々に食べ物を分け与えることだと考えたのです。その哲学は彼の自伝やインタビューの中で繰り返し語られています。
素朴でやさしい作品に込められた、慈愛に満ちた揺るぎない哲学こそが、やなせたかしの作品が世代を超えて多くの人々を魅了し続けている理由なのではないでしょうか。
マルチクリエイターとしての活躍
終戦後、やなせたかしの活動は多岐にわたりました。三越の宣伝部でグラフィックデザイナーとして働く傍ら、漫画家としても活動を続け、1953年には独立して広告漫画や新聞連載漫画を数多く手がけました。その後は、テレビやラジオの構成、ミュージカルの美術担当など、さまざまな分野で活躍しました。また、童謡として広く知られる『手のひらを太陽に』の作詞を手がけたほか、1973年にはサンリオから創刊された『詩とメルヘン』の編集長を務めたことでも知られています。
同じ年には代表作である絵本『あんぱんまん』が刊行されました。「子どもたちが親しみを持てるキャラクターであること」を最優先し、難しいディテールを削ぎ落としたアンパンマンの丸くてシンプルなデザインは、子どもたちが描きやすいことを意識したものでした。
刊行当初、『あんぱんまん』は評論家や編集者から批判的な意見を受けることもありましたが、幼稚園や保育園の子どもたちの間で大きな人気を集めます。
そして、1988年に『それいけ!アンパンマン』としてテレビアニメ化されると、大ヒットを記録しました。
「大器晩成の作家」として知られるやなせたかしですが、その経歴を振り返ると、創作活動を積み重ねる中で培われた豊かな感性と、多彩な挑戦を厭わない活発な精神性が、彼のユーモラスで愛らしい作風に色濃く表れていることがうかがえます。
そんなやなせたかしのふるさとである高知県香美市には、「やなせたかし記念館」があります。この記念館では、やなせが美術館のために描いた、ここでしか見られないアンパンマンたちの絵を鑑賞することができます。
一方で、やなせは新宿にも深い縁を持っていました。50年以上にわたり新宿に住み続け、新宿区の名誉区民でもあった彼は、防犯マスコットキャラクター「新宿シンちゃん」を手がけるなど、子どもたちの安全と成長を見守り続けました。新宿について「新宿には長すぎるほど住んでいる。もう死ぬまでここだよ」と語るほど愛着を持っていたといいます。また、四谷三丁目には30周年をむかえる「アンパンマンショップ」があり、街の一部として彼の作品が親しまれています。
たくさんの人々に勇気を与え、今なお愛され続けるやなせたかしの作品を、ぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。