作家・作品紹介

日本近代洋画史を彗星のごとく駆けぬけた画家 三岸好太郎

日本近代洋画史を彗星のごとく駆けぬけた画家 三岸好太郎

みなさんは画家たちの共通点と言えば何を思いつきますか?
絵がうまいことはもちろんですが、自身の世界観がある、発想力が豊か…等様々な共通点があると思います。今回はちょっと視点を変えて、プレイボーイと揶揄され、女性を虜にした魅力的な男性画家に注目してみました。

プレイボーイの代表的な画家と言えば、恋愛の変遷と共に作風が変化したともいわれるピカソなんかが真っ先に思いうかびます。日本人なら竹久夢二東郷青児でしょうか。追い求める女性像を探す最中、数多くの女性と恋に落ちる姿が度々見られました。私の身近であげるならば、愛知県に記念美術館がある、画家・三岸節子の夫である三岸好太郎です。彼もそんな恋する画家の1人であったと言われています。今回は三岸好太郎にフォーカスし作品の魅力も併せてご紹介します。


日本近代洋画史を彗星のごとく駆けぬけた画家 三岸好太郎

「恋をしなくちゃいい絵は描けない」

三岸は「情熱を燃やすことは創作において大事な源のひとつである」と話し、「恋をしなくちゃいい絵は描けない」と街中で見かけた流行や雑貨、玩具や人形、骨董など多くのものにも魅せられ熱をあげ、また多くの女性たちに陶酔しました。そんな三岸が愛する人やものを描いた“恋”をテーマとする作品たちは、北海道の道立三岸好太郎美術館にて企画展が行われるほどの数にのぼります。また、多くのものに魅せられた三岸は多様な美術動向にも鋭く反応し、大正から昭和初期の近代日本洋画の青春期と短い間を駆け抜けるように活動しました。残念ながら31歳の若さで亡くなった三岸ですが、その作風は短い人生とは思えないほど多彩な変化を遂げました。


日本近代洋画史を彗星のごとく駆けぬけた画家 三岸好太郎

「画風の変容」

1923年、20歳のときに春陽会の第1回展に入選し画壇デビューを果した三岸は翌年の第2回展でも主席受賞をし、画壇の注目を集めます。素朴な情感漂う人物画、風景画に独自の感性をにじませた作風が特徴的で、この頃に描かれたのちに自身の妻となる節子を描いた肖像画は、節子が当時暮らしていた下宿先に何度も通い続けながら描かれており、細部まで丁寧な描写が施された写実的な作品となっています。1930年になると新しい美術団体・独立美術協会の結成に最年少の創立会員として参加し、どこか憂愁を感じさせる道化の主題をはじめ、女性像、風景、静物など多彩な作風が展開しました。2年後の1932年にはこれまでの作風から大きく転換させました。ひっかき線による抽象作品やコラージュ等、前衛的な手法を試み、斬新な魅力あふれる表現を生み出します。そして三岸が亡くなった1934年にも作風は大きく変貌を遂げました。蝶や貝殻がモチーフとなり、淡い色合いで夢幻的な光景が描かれ、手彩色の素描集が刊行されました。

様々な作風で多くの人々を魅了した三岸好太郎の作風の変容は、彼の出身地にある北海道立三岸好太郎記念館のコレクションで鑑賞できます。彼の愛あふれるロマンティックな作品を堪能してみてください。


◆北海道立三岸好太郎記念館HP

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