2024.10.29
日本を代表するガラス工芸家 藤田喬平
『絶えず動いていて、それが固まっていく瞬間がガラス。それをうまくつかみたい。』
そう語った藤田喬平氏は、ガラス工芸の可能性を追求し続け、一生をガラスに捧げました。
今回は、日本を代表するガラス作家、藤田喬平をご紹介します。
ガラスに魅せられて
藤田喬平は1921年、東京都に生まれました。中学生の頃からガラスに興味を持ち、ガラス工芸の世界に進むことを決意します。東京芸術大学に進学し、金属を学んだ藤田は、金箔や銀箔をガラスに溶かし込む技法を開発し、ガラス工芸の新しい分野を切り拓いていきました。やがて、優れた技術と能力を身に着けた藤田は、ガラスの溶解や成形、装飾などの技術を独自に研究し、新しい表現手法を生み出しました。
若手の育成、文化勲章の受賞
68歳で日本芸術院会員に就任した藤田は、後進の育成に力を注ぎ、若手アーティストとのコラボレーションやワークショップを通じて、技術や知識の共有を行いました。彼の指導の下で育った若手アーティストたちは、その後も独自の作品を生み出し、ガラス工芸界に新たな息吹を吹き込んでいます。藤田の高度な技術と美しさを兼ね備えた作品は、日本各地で高く評価され、2002年には、81歳でガラス工芸家として初めて文化勲章を受賞しました。
“フジタの飾筥 ドリームボックス”
藤田の代表作といえば「飾筥(かざりばこ)」です。イタリアで学んだ色ガラスに、琳派を意識した意匠の金箔を混ぜ込み、箱形に仕上げた装飾用の小さな箱で、主に茶道具や美術品を収納するために制作されました。藤田が国際的に第一線の作家として認められるきっかけとなったのも、この「飾筥」シリーズだと言われています。
1973年に発表されると、欧米で大きな反響を呼びました。ある記者が「この箱に宝石を入れたら、宝石のほうが霞んでしまいそうですが、この箱には何を入れるのですか?」と尋ねた際、藤田は「あなたが大切にしている夢を入れてください」と答えたそうです。以来、この作品は“フジタのドリームボックス”の愛称で呼ばれ、世界中で親しまれ、藤田の代名詞となりました。
藤田の作品を改めて鑑賞すると、繊細で優雅なデザインが特徴であり、ガラスの透明感や光の反射を最大限に活かした作品が多く見られます。また、テーマも豊富で、花や自然の風景、抽象的な形状など、鑑賞者を幻想的な世界へと誘います。藤田の作品は、ガラス工芸でありながら、日本の伝統と現代アートを融合させたように感じられます。
藤田が亡くなってから今年で20年が経ちますが、その美しさは現在でも世界中で高く評価されており、美術館やギャラリーで展示される機会も多くあります。彼の作品は色あせることなく、今でも美しく輝き続け、鑑賞者に新たなガラスの可能性を発見させています。
◆藤田喬平の作品が鑑賞できる美術館
藤田喬平ガラス美術館(宮城県)