2024.01.16
戦後日本を代表する女性銅版画家 「南桂子」
少女や鳥や樹木を題材とした詩的な作品で世界中に知られる銅版画家、南桂子。約40年間の作家活動の中ではモチーフほとんど変えず表現し続けました。今回は銅版画家であり童話作家でもある、多彩な南桂子の半生をご紹介いたします。
両親との別れを乗り越え
南桂子は1911年、富山県に南家の三女として生まれます。
母のきよは日本女子大学国文科で学び、小説家を志しますが、桂子の出産後まもなく亡くなります。また、9歳のときには父の達吉も病のため早世してしまいます。幼くして両親を失った姉妹は一族の従妹たちと一緒に育ったといいます。そんな桂子は幼い頃から詩作や絵に夢中だったそうです。たしかに南桂子の描く少女はどこか儚げな表情をしています。幼少の頃の寂しさが絵に表れているのでしょうか。
浜口陽三との出会い
太平洋戦争後の1945年、34歳の時に長男とともに上京。1949年には洋画家の森芳雄のアトリエに通い、油絵を学び、そこで後に夫となる版画家の浜口陽三と知り合いました。この出会いが今後の南桂子の人生を変える大きな転機になります。銅版画に興味を持った桂子は浜口が戦前に住んだフランス・パリに同行することを決意し、銅版画家・ジョニー・フリードランデルの研究所に通い、銅版画の技術を学びました。その後、サロン・ドートンヌに入選を果たし、パリ・アンデパンタン展に出品した「風景」がフランス文部省のお買い上げになり、桂子の作品が瞬く間に世界に広まっていきました。パリのベルグラン画廊と専属契約をし、毎年発行される版画カタログには、ミロやピカソなどと共に浜口と一緒に桂子の作品が並ぶこともありました。浜口とはパートナーであり、いい意味でライバルだったのではないかと想像できます。
世界への飛躍
1957年にニューヨーク近代美術館(MoMA)のクリスマスカードに「羊飼いの少女」が採用されます。翌1958年にはユニセフによるグリーティングカードに「平和の木」が採用。このグリーディングカードは200万枚以上が発行され、2度も増刷されました。また、1964年にはユニセフの1966年版カレンダーに「子供と花束と犬」が採用されるなど、他にも著名人の挿絵や装画も手掛けています。点と線で描かれるシンプルでかつ繊細な、南桂子の作品は今でも世界を魅了し続けています。
浜口陽三の作品を常設展示する「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」では南桂子の作品の所蔵も行っています。同じ銅版画家ですが、また一味違った二人の作品を見比べるのも面白いかもしれません。ご興味のある方は是非、足を運んではいかがでしょうか。