2024.03.05
愛車ポルシェとの疾走から創作した画家 菅井汲
皆さんドライブはお好きですか?愛車に乗ってただひたすら走り続けるのは、なんとも気持ちが良いですよね。
さて、今回ご紹介する作家はドライブに魅了された作家で、油彩画かつ版画家である作家です。海外では国際展出品やサンパウロ・ビエンナーレでは外国作家最優秀賞を受賞するなど、華々しい功績を残している一方で、愛車のポルシェとともに、時速250kmで駆け抜けていた”スピード狂”の側面も持ちました。彼にとって車は常に死と隣合わせの緊張感と鋭敏な感性を保ち続けるための手段でもありました。そして、その体験が彼にインスピレーションを与え、多くの名作が生み出されています。今回は、そんな菅井汲の半生と代表作についてご紹介いたします。
生い立ちと国際的地位の確立まで
1919年に神戸に誕生した菅井は、生まれつき心臓弁膜症を抱えており、小学校卒業後は自宅で病床生活を送っていました。大阪美術学校で美術を学ぶもすぐに中退。その後阪急電鉄でグラフィックデザイナーとして活動する傍ら、中村貞以から日本画を学びました。日本国内では大きな実績を出すに至りませんでしたが、33歳で渡仏すると瞬く間にフランス国内で高く評価されることになります。渡仏して2年で個展を開き、パリの美術界において大スターとなった菅井。ですが数年後の1960年代から画風の変化が起こりました。ここから、4つの時期に分けて解説します。
4期からみる作品の構図変化
1:初期(1950年代):この時期には代表作として『神話とカリグラフィー』が挙げられます。自身初の個展では、日本画の要素のあるエキゾチックな作品がパリで話題となりました。
2:オートルート期(1960年):自家用車にポルシェを購入し、車が想起される絵が出てきたのがこの頃。象形文字のような作風から、ダイナミックな形と色を持つ作品へと画風が移り変わりました。『朝のオートルート』は車の力強さを表現した、菅井汲の代名詞ともいえる作品です。こちらの作品は東京国立近代美術館に所蔵されています。
3:ハード・エッジ期(1970年代):『12気筒』 はハードエッジ期の代表作です。 12気筒とは、高級車やスポーツカーに使われるエンジンの種類の一つで独特のエンジン音が車好きから人気を集めていたという背景があります。この時期から、幾何学的な作品が多く登場するようになりました。
4:晩年期(1980年代):『Sシリーズ』など。晩年はより一層単純化を推し進め、無機的かつ幾何学的な作風を展開しました。自身のイニシャルと道路のカーブを想起させるSをモチーフに絵を描き続けました。ところで、1967年に菅井が愛車のポルシェを運転していたとき、事故を起こし頸部骨折の重傷を負うという悲劇がありました。幸い一命は取り留めたものの完治には8年要するほどの大事故。後遺症が残りましたが、翌年にはすぐ画家活動を再開しています。なお、ドアを開けることもままならないうちに新車も購入したのだとか。のちに「車をやめたら負けやと思うたんです」と語っています。菅井にとって創作活動には車が欠かせないことがよくわかるエピソードですね。
さいごに
画家としての人生のなかで、交通事故という命の危機に直面したにも関わらず、心不全により1996年77歳で逝去するまで、何よりポルシェを愛してやまなかった菅井汲。ポルシェとの疾走から創作された彼の作品は、今日でも国際的に高く評価されています。