2021.06.08
幻想絵画 天野喜孝
現在、世界中にファンを持ち、イラストレーターとして活躍している天野喜孝。彼のキャリアのスタートはイラストレーターではなくアニメーターでした。
ガッチャマンと天野喜孝
1952年、静岡市に生まれた天野は14歳の時、東京に引っ越した幼馴染のところへ遊びに行きました。その時、近くにあったアニメーション制作会社『タツノコプロ』に見学も兼ねて絵を持っていくと、後日採用通知が届き、若くしてタツノコプロに入社することになったのです。当時まだ高校生だった天野は、タツノコプロ創業経営者の一人である吉田龍夫氏の家に居候し、学校に通いながらアニメーターとして仕事をしていました。
17、8歳の頃には作画監督とキャラクターデザインを兼ねる様になり、以降徐々にキャラクターデザイン専任となっていきます。天野がデザインを手掛けた作品には、有名な「タイムボカン」や「ガッチャマン」等があります。しかし、自分の生み出した絵を流動的なアニメーションではなく、しっかりと見てほしいという思いに駆られた天野は、イラストレーターへの転向を決意、30歳の時に独立します。
ファイナルファンタジーと天野喜孝
天野喜孝と言えば、多くの方が思い描くのはファイナルファンタジーシリーズではないでしょうか。スクウェアが開発したFFシリーズは、全タイトルの世界累計出荷数が1億5,900万本以上を達成している、世界的に有名なゲームです。
天野は1987年発売の、ファイナルファンタジー第1作目からキャラクターデザインを担当しました。元来、騎士やドラゴンが登場する西洋のファンタジーが好きだったため、現実にはない世界を描くことがとても気持ち良かったと語っています。煌びやかな装飾を纏った人物や、異国情緒あふれる街並みなどは、当時小学生だった私の目にもとても魅力的に映りました。7作目以降、天野はキャラクターデザインを離れますが、引き続き現在に至るまでロゴやイメージイラストを担当しています。これは、FFの生みの親である坂口博信氏がスクウェアを離れる時、「ロゴで天野さんの絵は外してほしくない」と伝えていたからです。
美術家 天野喜孝
キャラクターデザイナーとして様々な、唯一無二の絵柄を作るのが仕事だった天野は、いざ自分の絵を描くときに、どこが自分の個性なのかわからなくなったそうです。そこで天野はダ・ヴィンチやモロー、ミュシャなど、自分が良いと思うものをどんどん真似して描いていきました。そのうち自分の表現としてのクセや自分らしさが出てきて、今日の天野喜孝の作風が完成されていったということです。
今では美術家としても舞台美術や映画の衣装デザイン、公立美術館や海外での個展なども行い、その活躍は多岐にわたっています。絵を描くことがとにかく好きという天野は、これからも躍進を続けていくことでしょう。