2021.03.30
市場風景を描く代表画家 児玉幸雄
今回はパリを中心にヨーロッパの風景を描き続けた画家、児玉幸雄先生を紹介させていただきます。
生まれから生い立ち
1916年(大正5年)、大阪市北区曽根崎で薬品店を営む商家に生まれました。
下町的な雰囲気を感じながら育ったそうです。父親は絵画が好きでコレクションもしており、その父親に影響されたのか小中学校時代は絵を楽しみに描いていたそうです。
青年時代から戦後まで
大学の予科時代に油彩画同好会に参加し、そこで指導にあたっていた生涯の師となる田村孝之介先生と出会います。田村先生と児玉先生は生まれ育ちや境遇などの共通部分が多くあり、性格なども似ていたそうです。そのためか画風も似た要素を持っていることが多く、またモチーフも西洋人形を好んだそうです。
卒業すると共に太平洋戦争へ7年間軍役服務をしております。復員して日本に戻った際には「どうせ拾いものの人生だ。好き勝手して暮らそう」との考えに至ったそうです。
渡欧時代
初めての渡欧は1957年でした。憧れのパリに着いた時にとても感慨し、その際に偶然通りかかった朝市のある町、ムフタール街を知って心を奪われたそうです。その光景に自身が育った町の雰囲気と似ていることから、より一層パリに魅せられていきます。1971年までは二度ほどしか渡欧できなかったそうですが、それ以降は晩年まで毎年、春秋二回も訪れるようになります。
写実の滞欧作風の完成
大学時代は田村先生の影響もあり、西洋人形をモチーフにしており、また小磯先生と関わるきっかけもあり、人物画にも取り掛かっております。
その後抽象画が大流行し、時代の影響もあり抽象を作品に数年取り入れます。
1960年台あたりからは具象に変わっており、今の作風を完成したとされております。
特に代表とされている市場風景の中でもムフタール街を多く描いておりますが、地方の田舎町の朝市も繰り返し描いているそうです。
市場の人を描く際には当初は遠目で点景的ですが、後年には人々を細かく描いており描写がはっきりしております。このような色彩よく密に描かれた作風が見る人を惹きつけているのだと思います。
このコロナ禍で色々な国へ訪れることが難しいですが、児玉先生の作品を見て自身がその場所へ訪れた気分に浸ることが出来るのではないでしょうか?
是非先生の作品を見る際には、情景を浮かべながら観ることをおすすめします。