2022.11.22
岸田劉生「父・劉生」と「愛娘・麗子」
ちょっと怖いこの女の子。
独特なスタイルで愛娘を描いた岸田劉生の「麗子微笑(青果持テル)」です。教科書に掲載されたこともあり、岸田劉生を知らなくてもこのミステリアスな「麗子像」はご存じの方が多いのではないでしょうか。
岸田劉生(きしだりゅうせい)は、黒田清輝(くろだせいき)に学んだ後、印象派のゴッホやセザンヌの手法も会得し、デューラーや北方ルネサンスにも影響されます。後に西洋から東洋の美術へと傾倒し、初期肉筆浮世絵に見出した審美を「でろり」と名付けます。どんなものにもグロテスクなものが隠されていて、そんな人間をリアルに表現するのは写実ではないと考えるようになり、写実のどこかを欠如させ、自分の心の目が捉えた何かを盛り込んで作品を完成させていきました。
38歳という若さで亡くなり短い創作活動でしたが、画風は千変万化しています。
麗子像
劉生は愛娘麗子が5歳から16歳までの間、彼女をモデルとして「麗子像」を描きます。父親が愛娘を描くのであれば、もっと愛らしい作品でいいはずなのに、一連の麗子像にはどこか無気味なものを感じますが、不思議と人を引き付ける力のある肖像画です。
「麗子五歳之像」大正7年 8号油彩画
この作品が、麗子がはじめて油絵のモデルとしてモデル台に座った作品です。
多くの麗子像がある中、「この最初の五歳之像には父の気持ちにやはり何か特別なものがあった気がする」と、後に麗子は語っています。
劉生自身も「”全体から来る無形の美”を表現する高みに進むことができた」と語っており、これ以後、数多くの麗子像を描き続けます。
「麗子微笑(青果持テル)」大正10年 8号油彩画
冒頭にご紹介した「麗子微笑(青果持テル)」、大きなおかっぱ頭に小さな手、極端にデフォルメされアンバランスな感じが何とも言えず記憶に残る作品となっています。
この作品で麗子が羽織っている毛糸で編まれた肩掛けは、麗子像によく登場します。この肩掛けは、近所に住んでいた麗子の遊び相手&モデルとして岸田家に出入りしていた於松の母親が、娘の於松に残り物の毛糸で編んだ物なのですが、劉生はその素朴な味わいが気に入り、麗子に買ってやったばかりの舶来の肩掛けと交換してしまいます。麗子は承知したものの諦めきれずに涙ぐみますが、それを恥ずかしく思って隠したそうです。父が創作に真摯に向き合う姿をみて、父を気遣う麗子の気持ちの成長を感じます。
「童女舞姿」大正13年 30号油彩画
今までの作品と比べると著しく東洋的です。凛とした能面のような表情、麗子であるが麗子ではない、初期肉筆浮世絵のもつ「でろり」(劉生の造語)とした卑しい感じに近く、無気味でグロテスクな感じのリアリズムであり、美しいだけではなく複雑な美の要素を持った作品です。
「麗子十六歳之像」昭和4年 8号油彩
これまでの麗子像は麗子であって麗子とは異なるものでしたが、この作品は実際の麗子本人を思わせる作品に仕上がっています。劉生はこの後に大連に行き、帰国した後すぐその生涯を終えてしまい、これが最後の麗子像となってしまいました。
麗子は、劉生にとって愛娘であると同時に、描くことによって自らの美を深めていったモチーフであり、劉生自身の歴史そのものです。麗子は単なるモデルではなく、分身ともいえるでしょう。
岸田劉生の作品は希少で実際目にすることはなかなかありません。
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