2024.01.30
夭折(ようせつ)の天才画家 青木繁
私は休日に時間があると、気分転換に美術館に足を運んでいます。
昨年、東京国立近代美術館で開催された開館70周年“記念重要文化財の秘密”展に訪れた際、沢山の絵画がある中で、思わず足を止めて見入ってしまった作品が青木繁(あおきしげる)の『わだつみのいろこの宮』でした。今回は明治の日本洋画壇に現れ天才画家と称賛された青木繁の半生と国の重要文化財として指定されている大作2点についてご紹介したいと思います。
青木繁
青木繁は明治15年に福岡県久留米市生まれました。16歳で学校を中退すると、画家になる為一人上京。上京後は、小山正太郎の画塾 不同舎で学び、翌年には東京美術学校西洋画科に入学。当時、教授を務めていた黒田清輝らの影響を受けながら、青木は画家への一歩を踏み出していきました。神話・歴史に題材を求め、浪漫性の色濃い作品を制作しますが文展では認められず、のちに放浪の生活となります。その後、結核を患い28歳という若さで死去します。
海の幸
青木が22歳頃に描いた『海の幸』は、日本で初めて国の重要文化財に指定された西洋画です。青木が東京美術学校を卒業してまもなく房州布良(現在の千葉県館山)に坂本繁二郎、森田恒友、そして恋人の福田たねと4人で写生旅行に行った時に描いたものです。ある夜、坂本が目にした大漁の水揚げの光景を興奮して青木に伝えると、青木は目を異様に輝かせて構想をまとめ、翌日から制作が始まったそうです。絵を観ると浜辺を裸体の男たちが行進しています。ある者は巨大な鮫を背負い、ある者は長い銛を持ち、意気揚々と画面左へ向かってく様子が描かれています。その中、画面中央やや右寄りに一人だけ白い顔をこちらに向けている女性が居ます。この女性は福田たねと言われています。
作品の左側は未完成のように見えます。未完成ながらも、あるいは未完成ゆえに生き生きとした力強さを感じるこの作品は、第9回白馬会展に出品され、多くの人々から高い評価を受け、青木繁の名は一気に注目を集めました。
わだつみのいろこの宮
そして青木が25歳頃に描いた『わだつみのいろこの宮』。日本最古の書物である「古事記」の上巻に記された綿津見の宮の物語を題材とした作品です。兄の海幸彦の釣り針を失くした山幸彦が、海底にある「魚鱗(いろこ)の如く造れる」宮殿へ探しにきたところ、海の神の娘である豊玉姫と出会う場面が描かれています。赤い衣の豊玉姫のモデルは前述、恋人の福田たねと言われています。未完成作の多い青木において、この作品は油彩画として高い完成度でしたが、1907年の勧業博覧会において不本意な三等末席という結果となってしまいました。
青木繁の作品は美術の教科書にも紹介されるなど、明治期の日本絵画のロマン主義的傾向を代表する画家として高く評価されています。しかし28歳で早世したこともあり、生涯点数が少なくなかなかお目にかかる事ができませんが、今回ご紹介した作品は東京・京橋にあるアーティゾン美術館に所蔵され時々公開されています。ぜひ足を運んでその目で迫力を感じていただきたいです。
アーティゾン美術館:東京都中央区京橋1-7-2