2023.07.25
和気史郎、幽玄の美
寂しさに酒を飲み、寂しさに絵を描き、それでもなお寂しくて酒を飲む。(幽玄の美術館 公益財団法人 和気記念館より)
今回は、奈良・京都の雅にあこがれ、苔寺や能の幽玄の世界を描きつづけた画家「和気史郎」をご紹介いたします。
和気作品の根底にある戦争の経験
栃木県の山間部に位置する塩谷郡玉生村に生まれた和気四郎は、幼い頃より頭脳明晰で、成績は常にトップ。学業だけではなく、絵を描く才能も郡を抜いて上手かったそうで、小学生の頃、先生が自身の油絵の道具を渡し、画家になる夢を彼に託したという逸話ものこっています。スケッチブックを片時は離さず、お小遣いは全て絵具代に消えていったそうです。
和気史郎が栃木師範に在学した1940年~1945年にかけては、太平洋戦争の真っ只中の時代で、絵を描いていると白い目で見られる風潮がありました。
その頃について和気史郎はこのように語っています。
「特攻隊に入れば、半年か一年で間違いなく死に向かってまっすぐ進んでいく。そこから命あるもの、形のあるもののむなしさを強く感じる」
和気史郎の作品に、死を連想させるものや精神世界のような作品が多いのも、この世の地獄をともいえる戦争の光景をその目で見ているからではないかと思います。
戦争が終わり1946年東京美術学校に入学し、安井曾太郎の教室に入ります。
現実の対象を正確に写す、写実的な描写の技術を学びたいと考えていたからかもしれません。安井のセザンヌから学んだ的確なリアリズムと、誠実な人柄により和気はメキメキと成長したといいます。
能と幽玄と和気史郎
古い日本の文化に精神のよりどころを求めようとした結果、最も古典的な芸能である能に関心を持ち、能の場面を描いた作品を数多く残しています。
中でも薄明の中で月光に蒼白くぼんやりと浮かび上がる能面をモチーフとした作品等は、少し不気味に思える反面、静寂で枯淡な風情を漂わせます。
和気史郎が代表的モチーフともいえる能面を描く理由の一つには、能がもともと死霊の劇ということが関係するのではないでしょうか。あの世とこの世の間を浮かぶ怨霊の世界がえがきださせることもあります。目に見えない精神の領域を求め、能の内部に死に通じる美を見出したのかもしれません。
晩年は過度な飲酒が原因で精神の均衡を失うこともあった和気四郎。
死と常に向かい合い苦悩に満ちた経験から、能の世界観にも通じる幽玄の美を生みだしました。彼の作品は、生まれ故郷の栃木県に開館された「幽玄の美術館 公益財団法人 和気記念館作品」にて、ご覧いただくことができます。
幽玄の美術館 公益財団法人 和気記念館作品
〒329-2221 栃木県塩谷郡塩谷町玉生648
電話 0287-45-1010