2020.01.21
伝説の逃亡劇 人見友紀
昨年末から世間を賑わせているニュースといえば、カルロス・ゴーン氏の逃亡劇ですね。
現時点では様々な憶測が流れていますが監視の目を掻い潜っての見事な国外逃亡劇は、まるでドラマか映画を観ているかのように驚かされましたね。
人見友紀の逃亡劇
50年近く前になりますが、美術業界にも伝説に残る大きな逃亡劇がありました。
1972年から1973年にかけて、東海・北陸地方等を中心に発生した、被害総額2億円を超える古美術窃盗団による美術品の窃盗事件。これに関与したとみられる、窃盗団の一員だった人見友紀は、警察から追われ妻と海外へ逃亡しました。
警察庁が国際刑事警察機構(ICPO)を通じて手配し、日本の国際手配第一号となってしまいます。
逃亡犯から画家へ
人見は逃亡中、フランスの売れない画家に弟子入りし、画家を志すようになります。
ヨーロッパの国々を転々とした後ギリシャに定住し日銭を稼ぐ為に絵を描き始め、その絵を路上で売って生計を立てようとします。
すると、見る見るうちに上達し、地元紙にも紹介され一躍人気画家となります。
画家として成功し、日本に住む父親に仕送りが出来るまでになりましたが、1986年、人見は父親の死を母親から聞かされ、帰国を決意します。
駐ギリシャ日本大使館に電話を入れ、これから自首する旨を伝え、そのまま自首。
逃亡生活から約13年が経とうとしていました。大阪空港で窃盗容疑で逮捕された人見は懲役3年6か月、福井刑務所で服役を受けることとなります。
服役中に「逃亡者の掟」という手記を出版、こちらは後に映画化もされています。
平成元年1月に仮出所し、両親の疎開先だった美濃市に落ち着くと、「逃亡画家」を自称し、創作を続けました。画家として活躍する一方で、岐阜、愛知で複数の画廊の経営にも携わります。
人見友紀の作品はまるで写真のように美しく、見れば見るほど作品に引き込まれていきます。
私が特に好きな作品は人見の描く「白川郷」です。細密でありながら力強ささえも感じられます。使われている色味は少ないですが自然の雄大さと重厚感が伝わってくる作品です。
作家の人生を知ると、その作品を鑑賞する目も変わってきますね。
さて、今起きている逃亡劇にはどんなストーリーが待っているのでしょうか?
また、いつか映画化されそうですね。