2019.10.01
乳白色の肌 — 藤田嗣治
今回は、昨年没後50年ということで、あちこちで展覧会が開かれた「藤田嗣治」をご紹介いたします。
藤田嗣治と生涯秘密にした「乳白色」
大変人気の画家で、版画もたくさん出版されている「藤田嗣治」ですが、皆さんのイメージはどのようなものでしょうか。
多くの方が思い浮かべるのは、エコール・ド・パリの代表的な作家の一人であること、得意な画題が猫と女性であること。そして、その代名詞ともいえる「乳白色の肌」などでしょう。
藤田嗣治は、この「乳白色」の技法を生涯秘密にしており、肌を描いているときは他人がアトリエに入ることを警戒する程だったといいます。
しかし、近年になって作品修復の際にこの「乳白色」の秘密が明らかにされたのです。
「乳白色」の技法
独特の乳白色を表現するために、下地には硫酸バリウムを用い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていました。
この炭酸カルシウムは油と混ざるとわずかに黄色を帯びる特徴があります。
さらに絵画の下地表層からは「タルク」が検出されており、それは和光堂のシッカロールだったことも明らかになっています。
このタルクの働きによって半光沢の滑らかな絵肌・材質感が得られ、
面相筆(日本画用の顔の輪郭や細部などを描くのに用いられる穂先の細長い筆)で輪郭線を描く際に、墨の定着や筆の運び易さが向上し、膠(にかわ)での箔置きも可能になるというメリットがあるそうです。
(ただし、画面表面にタルクを用いていたことは、弟子の岡鹿之助が以前から報告していた)
藤田嗣治の海外と日本での評価
26才で渡仏し8年後の1921年、サロン・ドートンヌに出品した3点の作品が絶賛され、中でも陶磁器のような透明感を醸し出した肌の裸婦像は、「乳白色の肌」「グラン・フォン・ブラン(素晴らしい白地)」と高い評価を得ました。
「絵具を塗り重ねず、色彩を多用せず」と語った藤田の独創性が実を結び、まさにオリジナルの画風を確立したのです。そこには絵画の革命を成し遂げたいという強い思いがうかがわれます。
ただ、日本で評価されたのは没後でした。
黒田清輝率いる当時の日本画壇では驚くべき低い評価だったこと、戦争画家と非難を受け日本を去ったことなど様々知られています。藤田の生涯は日本人から多くの誤解を受けていたことがとても残念です。