2024.07.16
三輪休雪 萩焼と十三代続く三輪家の歴史と発展
一楽、二萩、三唐津と呼ばれて茶の湯の茶碗として高く評価されている萩焼。江戸時代に毛利家の御用窯として発展した陶器で、その歴史は今から約400年以上前の文禄元年(1592)、豊臣秀吉の朝鮮出兵の頃までさかのぼります。現代では急須や湯呑、皿など普段から我々が使用する馴染みのある食器や茶道・華道の道具を中心に展開されています。
萩の七化け
萩焼の特徴と言えばなんと言ってもざっくりとした焼き締まりの少ない陶土を用いた、独特の柔らかな風合いにあります。土が粗いため浸透性・保水性・保温性が高く、土と釉薬(うわぐすり)の収縮率の違いによりできる表面の細かなヒビ(=貫入)から水分が浸透し、器の中から表面にまで至ります。この浸透により、使い込むほどに器の色合いがだんだんと変化し、なんとも言えない侘びた味わいを醸すようになります。この変化は「萩の七化け」と呼ばれ、萩焼の特徴的な魅力となっています。また、高台にも特徴があり、割り高台と呼ばれている高台に切込みがあるのが特徴で茶陶として発展した萩焼は、茶碗の見所のひとつである高台に造形的表現を追求しています。
十三代続く三輪窯
そんな現代でも人気のある萩焼の窯を継いでいるのが、三輪窯である十三代 三輪休雪です。どうやって十三代までの長い期間、三輪窯を守り続けることができたのでしょうか。当代の十三代休雪は1951年、山口県萩市に十一代三輪休雪(壽雪)の三男として生まれ、1975年に米サンフランシスコに留学し帰国後、三輪窯において作陶に入ります。
歴史を守り続けることと、新たなチャレンジ
2019年、十三代三輪休雪を襲名していますが長く続いた三輪窯と当代の休雪の発展のポイントは大きく見て3点あります。
彼は伝統的な技術を親から学ぶということはせず、20代のころはアメリカを歴訪しサンフランシスコを拠点にオンボロ車でいろんなところに旅をしていたそうです。当時の西海岸の大スケールに感動し今の製作活動の源になっているようです。1975年当時のアメリカはウォーホルやバスキアなどのポップアートの流行りもあり芸術やアート文化が流行っている時代でした。こういったスケールの大きさが作陶作りに関係し、踏襲にとらわれない常に挑戦する気持ちをもつことができたことが1つ。2点目に十代休雪によって作り出された藁灰の釉薬を十一代休雪が使うことによってさらに洗練されていき出来上がった「休雪白」を継ぐのだという繊細さを併せ持っているところに時代の受け継ぎを感じます。そして3点目は自分で作ったものに対して「1番はじめに感動するのは自分自身である」という純粋さもっており、自分が感動しなくては人が感動するわけはなく、自分にどれだけの衝撃波が伝わってくるかを大切にしているそうです。
自分が作陶したもので他人を感動させるということはとても難しいことですが、自分が素直に感動したものも又、他人も喜ぶという気持ちは普段からの我々の私生活でもあると思います。
私たちが器を見て感動するとき、その思いは作陶者も同じように感じた感情かもしれませんね。
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