2023.02.28
万人に愛される備前焼 藤原啓
皆さんは「日本六古窯」という言葉をご存知でしょうか?
「日本六古窯」とは焼物の産地である、瀬戸焼・常滑焼・越前焼・信楽焼・丹波焼・備前焼の窯元を指し、中世から現在まで生産が続く国内で代表的な6箇所の窯の事です。
その昔、朝鮮半島や中国から来た渡来人によって日本各地に陶磁器制作の技術が伝わり、その土地土地で産業として、文化として開花していきました。
その中でも800年以上の歴史をもつ、最も古い焼物と言われている岡山県備前市の備前焼。
今回は備前焼の人間国宝、藤原啓をご紹介したいと思います。
文学作家への道
実はあまり知られてませんが、藤原啓は備前焼を作陶する前は文学作家を目指していました。
1899年に農家の三男として岡山県備前市に生まれた藤原啓は、少年の頃から俳句や小説をたしなみ、16才で博文館が刊行する文芸雑誌に応募したところ受賞。これをきっかけに文学の道を志し、20代で上京。執筆・出版、当時の文芸雑誌の編集などにも携わりました。その傍ら、洋画やデッサン、音楽なども学ぶなどバイタリティに溢れ、行動力がある人物だったと言われています。ところが38才の頃、文学作家として人生のキャリアを進める中、自己の文学のレベルに限界を感じてしまい強度の精神衰弱に陥り、地元に帰省することとなりました。
陶芸家に転身
帰郷した時には40歳という年齢でしたが、知人からの勧めで三村梅景という備前焼の作家に師事しました。“造って焼くこと”に無上の感激と喜びを感じ、備前焼の陶芸家として新たな人生を歩みはじめます。親しくなった金重陶陽や北大路魯山人からも指導を受け、技術は飛躍的に向上。その後は金重陶陽が先駆となった古備前復興の継承に尽力しました。特に鎌倉・室町時代の雑器の美を、持ち前の豪快さと素朴な風情で表現、新たな備前焼を展開しました。55歳にして魯山人の斡旋にて日本橋高島屋で個展を開き、岡山県指定無形文化財保持者として認定され、71歳にして国の重要無形文化財保持者として認定。84歳で逝去、その作陶人生に幕を下ろしました。
次世代に受け継がれ
藤原啓が亡くなり約40年。現代にまでその意思は受け継がれています。長男の藤原雄、次男の藤原敬介共に備前焼の陶芸家として脚光を浴び、長男の雄も父同様、1996年に国の重要無形文化財保持者として認定されました。また藤原啓の孫にあたる和も現在3代目として作陶、活躍しています。
改めて彼の備前焼を目を向けると、文学性の片鱗をうかがえ、親しみやすさを感じます。たとえ遅咲きと言われる作家人生でも、万人に愛される備前焼を目指し、情熱を向け何事にも邁進する姿が目に浮かびます。