2021.03.09
ブラジルのピカソ 抽象画家 間部学(マナブ 間部)
抽象画について
「抽象絵画」にどういったイメージを持たれているでしょうか。「具体的な対象をかきうつすということのない絵画」を意味するものですが、具象ではないから誰でも書く事ができるや、値段が高い事で話題になるなど耳にします。しかしながら、一言でいうと「何が書かれているかわからない」という事をイメージされる方は多いのではないでしょうか。
具象画が分かるのは自分たちの身近にあるものを写実的でより具体的に描くからです。動物を描くなら動物を、静物を描くのなら静物を、見た目の通りのまま表現しようとします。
一方で抽象画は具体的なモデルがいないため、極端に抽象化されます。喜怒哀楽の感情が直接キャンパスに表現されたり、動物が丸で表現されたり、そればかりかそのもの自体に意味がないものさえあります。
ではどのように受け止めることが正しいのか?抽象画の魅力は直感で感じる事ではないでしょうか。感覚としては空の雲を眺めたり、海を眺めている時に綺麗だと思うようなものです。頭ではなく見たそのままを感じ心に残す事が抽象画をみる時のポイントかと思います。
なお、こちらの絵は抽象絵画の創始者とされるカンディンスキーの『即興 渓谷』(1914年)です。
抽象画家 間部学(マナブ 間部)
前置きが長くなりましたが、今回ご紹介するのは抽象画家で日系ブラジル人の画家、ブラジルのピカソと呼ばれた間部学(マベ・マナブ)です。
間部学は1924年に熊本県にて宿屋を営む父・宗一と母・ハルの間に生まれました。
10歳の時に両親と共にブラジルへ移民し、コーヒー農園で働きながら生活していきます。
21歳の頃、働いているコーヒー農園が霜の為全滅する出来事がありました。この事もあってからか空いた時間を見つけ油絵具を使って絵を描き始めました。
1957年には自身のコーヒー農園を売却し、専業画家としてのキャリアをスタートさせますが、直ちに生計をたてることは厳しく、ネクタイの染色や看板描きなどを受けていたようです。そうした中、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で国内最高賞を受賞すると、その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」受賞します。アメリカ・タイム誌に『MABE黄金の年』として取り上げられたことをきっかけに成功の道を歩んでいきます。間部学35歳の出来事でした。
若くして評価を受け、画家として順調に歩んでいく間部の画業ですが、1979年突然の悲劇が襲いかかります。
日本で開催された個展を終えた後、ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故により代表作を含む100点余りの作品を失ってしまうのです。代表作の大半を失うことの喪失感は画家としてその身を引き裂かれるような思いであったと想像できます。間部はその後14年かけて1点1点を描き直したそうです。
1997年に亡くなるまでブラジルで創作活動を続けた間部は、息子のユーゴ・マベ(間部有剛)などの日系画家に多大な影響を与えました。
ブラジルを思わせる鮮やかな色調と大胆な構図。海を渡った日系の抽象画家「マナブ間部」の作品は、再度海を渡り、故郷の熊本県宇城市「不知火美術館」に多数収蔵されています。