2021.04.13
ジャポニスムの画家「平松礼二」
皆さまこんにちは。今回はアート買取協会の本社のある愛知県にゆかりのある作家、平松礼二を紹介ご紹介いたします。
「人間の生死」がテーマの時代
平松は、高校1年の頃、美術雑誌で見た横山操の作品に衝撃を受け画家を目指すことを決意します。
19歳の時、青龍社展に初出展し初入選。青龍社が解散するまで出展を重ね、数々の入選を果たしました。
32歳の時、師と仰いだ横山の死によって数年の間、制作を中断してしまいますが、30代半ば制作を再開します。当時は「人間の生死」がテーマとなり、韓国の庶民の墓(円墳)を描いた作品を多く制作しています。この頃の作品は冬枯れた樹木、暗く重々しい色彩でどこか寂しく、現在の平松の作品からは全く想像もできないような作品に感じられます。しかし、平松自身は自然で愛おしい風景、東洋で一番美しい風景という思いで描いていたようです。
後に冬枯れた樹木に交じって鮮やかな色彩が加わり作品にも華やかな装飾性が見られるように変化していきます。
父の闘病生活からモネの『睡蓮』に出合うまで
平松の父が病気で闘病生活を送ることになった時、当時住んでいた長屋には絵を描く部屋もなく、平松は鬱々とした日々を過ごしていました。しかし妻である裕子夫人が玄関先の小さな庭で花々を育てていたため、父は毎日その景色を眺め、心穏やかに旅立っていきました。父の死は人生の儚さを感じ、悲しさでいっぱいのできごとでしたが、婦人が父を静かに優しく送ってくれたことに感謝した平松は、彼女のために「好きな花作りをずっとさせてあげたい。」「気の済むまで花を植えられる庭を造ってあげたい。」という思いで作品を制作し続けます。
50歳を過ぎた頃、初めてパリへ行き、個展の会場の近くにあるオランジュリー美術館にふらりと立ち寄った平松は、70代のモネが描いた『睡蓮』の連作に出会います。その時からモネを中心とした印象派について猛烈に勉強し始めました。それまで東洋にだけ向けていた志向がフランス一辺倒となり、フランスと日本を行ったり来たりすることとなります。
仏・ジヴェルニーの公立印象派美術館で個展が開催された時には、館長によるオープニングの挨拶の中で「平松礼二は印象派の仲間になった」と称賛されたほどです。
屏風絵の連作「睡蓮交響曲」はモネへの返歌
65歳の頃、軽井沢にアトリエを構え、1500坪の庭を造ることが叶います。池にはモネ財団から株分けしてもらった睡蓮が浮かんでいます。裕子夫人が好きな花を心ゆくまで育て、その自然の花を平松が描く、今後も2人で素晴らしい作品を制作して下さることでしょう。
2020年、国内最大級の超大作「睡蓮交響曲」を三年がかりで完成させました。
十四点の屏風絵の連作で、高さ二メートル、総延長九十メートル。日本画家の視点で描かれたジャポニスムシリーズの集大成として「モネの睡蓮」をテーマに制作されたものです。
葛飾北斎らの浮世絵を愛したモネが大装飾画「睡蓮」で表現しようとした美への返歌、返画となっています。
町立湯河原美術館の平松礼二館にて前期 令和3年3月5日(金)~4月27日(火)後期 令和3年4月29日(木)~6月28日(月)まで特別展示されます。
お近くに行かれる方は是非のぞかれてはいかがでしょうか。