2020.09.29
「荒川志野」を確立した陶芸家 荒川豊蔵
今回は“荒川芸術”についてご紹介したいと思います。
まず荒川豊蔵と聞いて、連想させるものはどういったことでしょう。
わたくしは個人的に志野焼のイメージが沸きます。
荒川豊蔵の志野焼はぼってりと貫禄がありながら、品のある気品にあふれた作品が多く万人が一目見て魅了されることでしょう。
荒川豊蔵の人生
どのような人生を歩んだのか簡単にご紹介させていただきます。
豊蔵は文化勲章受賞、志野・瀬戸黒で重要無形文化財保持者です。
受賞までには長い年月をかけて古陶の研究と新作の創造に傾倒されました。
昭和五年岐阜県可児市久々大萱の古窯跡で、桃山時代の志野筍絵茶碗と同じ模様の陶片を発見したことから、志野や瀬戸黒、黄瀬戸、織部などがそれまで愛知県瀬戸市で焼かれたという定説をくつがえし、美濃で焼かれたことを実証し、日本陶磁史上に大きな功績を残されました。
その後、八年に大萱の窯跡に陶房を築き、半世紀余にわたって、永く後世に残る作品を生み出していきました。
作品は先ほども紹介させていただきました志野、瀬戸黒、黄瀬戸を中心に、織部、染付、色絵、粉引、唐津、萩、備前、信楽、丹波などを手がけられ、いずれも新鮮な現代感覚にあふれた名作を生みだされました。
そのため国の内外で高い評価を得、名実ともに現代日本陶芸界の第一人者としての地位を獲得されました。あまり知られておりませんが、画家を目指した時期もあり、絵画、屏風、漆芸品や金工作品、など陶芸以外でも作品を残されました。
荒川豊蔵は勤勉で探究心のある芸術家であるのと、過去のものを後世に受け継ぐ為に過去のままではなく、現代に受け入れやすい形で表現した遊び心のある人柄だったことも受けてとれます。
堂々たる自己主張を通じて、見る者の心を吸い取る力を持つ荒川豊蔵のご紹介をさせていただきました。