作家・作品紹介

「忘れられた画家」渡辺省亭

皆さんは渡辺省亭(わたなべせいてい)という画家はご存じでしょうか。
渡辺省亭は最近まで「忘れられた画家」として日本の美術史の中で注目されることがほとんどありませんでした。しかし、2021年に開催された初の回顧展を契機にその圧倒的な色彩力と繊細かつ大胆な画力は多くの人々に知れ渡る事になります。

今回は弊社でも取扱いがある作家、渡辺省亭について書きたいと思います。

「忘れられた画家」渡辺省亭

培ったデッサン力

1852年、現在の東京都千代田区に生まれました。12歳頃に質屋に奉公に出ますが、そこで描いていた絵がなかなか上手かったため、質屋の主人が親元を説得し、菊池容斎という日本画家に弟子入り、門下生となります。この時、容斎は八十歳近く、省亭は16歳であり、まるで祖父と孫の位の歳の開きがありました。当時の容斎の美術教育は、月に一回モデルを囲んで弟子達に写生させており、後の明治時代以降の基礎となるモデルデッサンをいち早く取り入れて教育するなど、時代の先を見据えていました。また容斎は省亭を連れて散歩し自宅へ帰ってくると、町で見かけた人物の着物や柄・ひだの様子がどうだったか質問し、「自然を手本とせよ、自分の眼で見て考えよ」と厳しく指導、後の省亭のデッサン力となったそうです。この頃の省亭のモチーフは、現在定評のある花鳥画ではなく、歴史人物画でした。これは師である容斎の影響を存分に受けているからと言えるでしょう。


「忘れられた画家」渡辺省亭

転機

省亭が23歳の頃に転機が訪れます。美術品を主に扱う貿易商“起立工商会社”の社長、松尾儀助が省亭の才能を見出し、デザイナーとして迎えいれられたのです。この会社は日本の素晴らしい工芸品を海外に輸出することを目的とする会社で、これまで主流だった工芸品の意匠も大切であるが、更に新しい感覚の持ったデザインや図案が必要と考えていました。省亭は1877年に開催された第一回内国勧業博覧会にの蒔絵の下絵「国髹図案」を出品し花文紋賞牌を受賞。更には翌年開催のパリ万国博覧会に出品し、初期作品の代表作となりました。また万博への出品をきっかけにパリへ渡航し、ドガをはじめ印象派の画家たちと交流しました。

そして何より省亭を語る上で最も代表的な作品は、七宝焼の天才と言われた濤川惣助(なみかわそうすけ)と共同制作し、2009年に国宝指定となった迎賓館 赤坂離宮の 花鳥の間 の壁面に飾られている細密七宝額です。七宝制作者であった濤川は、七宝の制作段階で仕切り兼図柄の輪郭線の金属線を焼成前に.完全に取り除く“無線七宝”という技法を発明した人物です。掛軸など絹本に岩絵具で描き出す日本画の絵画表現を七宝に写す事を目標に上げ、まるで直接描いた様な微妙な色合いのぼかしやグラデーションを約350種類の釉薬を使って表現し、七宝工芸界の基礎を築き上げました。省亭が細密に書き込んだ花鳥画を七宝焼として見事なまでに再現した共同作品は、濤川が没する1910年まで制作されました。
晩年は木版画や雑誌挿絵も多く手掛け、68歳で没するまでは市井の画家として画壇からは距離を置いていましたが、庶民には親しまれその分野で評判が高かったようです。


「忘れられた画家」渡辺省亭

日本で再評価

省亭の作品点数は以前から大規模な展示会が出来る程の数は確認されておらず、その中で歴史に埋もれ、まさに「忘れられた画家」でした。しかし海外ではすでに主要な美術館に納められており、近年日本でも再評価されています。実際戦前には沢山の贋作も流出していたそうです。再評価された事により弊社も以前より増してお取扱いさせて頂く機会が増え大変嬉しく思っております。もしご自宅に「これはもしや…」という作品がございましたら、是非一度お気軽にお問い合わせ下さい。お待ちしております。

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