2020.03.03
「元宋の赤」奥田元宋
今回は日本画家「奥田元宋」をご紹介させて頂きます。
先日、広島県三次市という場所に行って来ました際に奥田元宋・奥田小由女美術館に行って参りました。今回は奥田元宋の生涯や美術館について触れて見たいと思います。
青の東山魁夷、赤の奥田元宋
奥田元宋は日本美術を長年において活動し日展理事など歴任した日本画家です。その実績は東山魁夷の青、奥田元宋の赤と代名詞のように語られる程です。
同時に文化功労者や文化勲章など数々の賞を受賞しました。
奥田元宋の生い立ちと奥田元宋・小由女美術館
元宋と妻である小由女さんの名を冠する奥田元宋・小由女美術館と生い立ちから画家人生の様子を含めご紹介致します。
奥田元宋は広島県三次市に生まれました、中学生で油彩画を始め同郷の洋画家、南薫造に憧れていたそうです。
中学校卒業後上京し、遠縁にあたる同郷出身の日本画家、児玉希望の弟子となります。
その後、自信の画技に対する懐疑から師邸を出て一度文学や映画に傾倒しますが再び師の元へ戻り画業へ励む事になります。
のちに中国宋元絵画への憧れと本名に因んで自ら元宋と名乗るようになります。
戦前は人物画や花鳥画を中心に創作していたが、戦況悪化にともない郷里に疎開。故郷の自然を写生することに没頭し、風景画に開眼する。
60歳を過ぎると「秋獄紅樹」「秋獄晩照」など元宋の「赤」と称される鮮烈な赤を主張に描いた風景画を製作するようになります。
その後、文化功労者、文化勲章を受章し日本画家としての地位を不動の物とします。
そして美術館の紹介ですが奥田元宋、小由女ご夫婦が二人の美術館を創設する事が長年の夢だったそうです。作品が散逸しないよう大切に保管されていた彼の四季折々の自然を描いた作品が、一括して鑑賞する事ができ、奥田元宋の原点の赤とも言える「紅嶺」や大作「白嶂」などまさに圧巻です。
また奥田小由女さんも人形作家として御活躍されており美しい木彫工芸や立体作品など鑑賞する事ができます。