2021.01.26
和から洋へ転向し花開く 小林和作
人間、考え方や環境が変化するだけで、一気に能力が開花することがあると思います。
今回は日本画から洋画に転向し花開いた、小林和作という作家をご紹介させていただきます。
日本画時代
1888年、山口県の裕福な地主の家に生まれた小林和作は、跡取りとして大きな期待をかけられていたものの、本人にその気はなく、京都市立絵画専門学校日本画科に入学します。
日本画時代は「小林霞村」と名乗り、日本画の大巨匠である竹内栖鳳に指導を受けていました。そして、文展にて何度か入選もしており、日本画家として悪くないスタートを切ります。そんな中、竹内栖鳳から力強さの無さを指摘され、試行錯誤を繰り返しますが、その後は落選が続き、結果の出ない日々が続きました。
洋画時代
その間、共に日本画を学んだ仲間たちは華々しい活躍をするようになり、「自分の全てを変えたい」と、1918年30歳で思い切って洋画家に転向するという人生最大の決断をします。
洋画に転向してからは、後の文化勲章作家である梅原龍三郎・中川一政・林武らの知遇を得て、一から洋画を学び、基礎を作り上げていきました。そしてすぐに、第二回春陽会展に入選します。それ以降は数々の代表作を世に出し、多くの人に支持されるようになっていきます。
和作特有の踊るようなタッチと油絵の持つ力強さが見事にマッチし、才能が一気に開花していきました。
今なお愛され続ける和作
山口県出身の和作ですが、実際は広島県尾道市に40年以上住んでいました。
私は仕事の関係で広島県に住んでいた時期があり、尾道にもよく行く機会がありました。尾道では、一家に一点は和作の作品があるのではないかと錯覚するほど、和作の作品をお持ちの方が多く、今でもとても愛されている作家だと強く感じました。
嫁入り道具に和作の作品を持って行ったというお話を聞いたことがあるくらいです。
日本画に行き詰まり、洋画に転向して開花した、小林和作。
是非、皆様も今の自分をガラッと変えたいと感じたとき、小林和作の作品と向き合ってみてはいかがでしょうか。現状を変えるヒントが隠されているかもしれません。