日本の洋画界で独自の芸術世界を築き上げた三岸節子。女性画家の先駆者として、戦前から戦後にかけて数々の優れた作品を残しました。
力強い色彩で描かれた花の作品や、晩年のフランスで生み出された風景画は、今でも多くの人々を魅了し続けています。
今回は、三岸節子の芸術的成長と作品の魅力、そして作品の価値についてご紹介します。作品をお持ちの方、売却をご検討の方は、ぜひ最後までご覧ください。
はじめに
日本洋画界における三岸節子の位置づけ
日本の画壇において、三岸節子は女性画家の地位向上に大きく貢献した重要な存在です。
1946年には女流画家協会を創立し、当時は女性の自立が困難だった日本の洋画壇で、女性が活躍できる舞台を築きました。その功績は高く評価され、1994年には女性洋画家として初めて文化功労者に選ばれています。
三岸節子作品の価値と評価
現在の美術市場において、三岸節子の油彩作品は数十万円~で取引される事も多く、人気作や大作ではオークションで300万円を超える価格をつけることもあります。
注目すべき例として、テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」で三岸節子の花の油彩が500万円と鑑定されたことが挙げられるでしょう。
また、シルクスクリーンやリトグラフといった版画作品も手がけています。
三岸節子とは?
出典:wikipedia
苦難を乗り越えた女性画家の先駆者 三岸節子は、1905年に愛知県起町(現在の一宮市)の織物工場を営む裕福な家庭に生まれました。
実は、先天性股関節脱臼のため、幼い頃から周囲から偏見の眼を向けられることも。親族の集まりの際には、世間体を気にした親から、土蔵や女工の寄宿舎で潜んでいるように命じられることもあったそうです。
そんな中、15歳の時に世界恐慌の影響で実家が倒産。しかし、三岸節子はこの不幸を嘆くことなく「一家の苦しみを何者かになってとりかえそう」と誓い、当時女性画家がほとんど存在しなかった洋画家の道を志すことを決意したんです。
両親の反対もありましたが、ハンガーストライキをしてまでその意志を貫いたといいます。
画家としての歩みと芸術的成長
上京後、岡田三郎助に師事して本格的な絵画修業を始めた三岸節子は、女子美術学校(現・女子美術大学)を首席で卒業。1925年には春陽会展に「自画像」などの作品で初入選を果たし、画壇デビューを飾ります。
19歳で三岸好太郎と結婚しますが、1934年に好太郎が31歳という若さで急逝。3人の子供を抱えながらの苦しい生活が始まります。しかし、三岸節子は困難に屈することなく制作を続け、次第に画壇での実力と才能が認められていきました。
1950年代には、洋画界の第一人者としての画格を確立。1954年に初めてフランスを訪れた後、1968年には南仏のカーニュに、1974年にはブルゴーニュの小村ヴェロンに移り住み、約20年にわたる異国での制作活動を展開します。
言葉の通じない異国での孤独感や老化による体の衰えと闘いながらも、絵を描くことに励み、数々の傑作を生み出しました。
1989年、84歳で帰国した後は神奈川県大磯町の自宅兼アトリエで制作を続け、1994年には女性洋画家として初めての文化功労者となります。
1999年、94歳でその生涯を閉じるまで、たくましい精神力で生命を賛歌する作品を描き続けました。
三岸節子の作品の魅力や特徴
独自の色彩表現と構図
三岸節子の作品は、鮮やかな色彩と抽象的な構図が特徴です。厚塗りの油絵の具による独自の表現は、写実とは異なる重厚で情熱的な世界観を生み出し、生命力あふれる魅力を感じさせます。
1950年後半以降は、強烈な感情表現を特徴とする画風を確立し、極端な抽象画よりも分かりやすい絵が特に人気を集めました。
具体的には、赤や黄色などの暖色を大胆に使用した花の作品が代表的で、その独自の表現は多くのコレクターからも高い評価を受けています。
主要モチーフとしての花の表現
三岸節子の代表的なモチーフといえば、なんといっても花の作品です。1950年代までは、室内で花瓶に挿した花を画面全体に描くことが多く、その作品からは日本での制作の様子が伺えます。
花は生涯を通じて描き続けたモチーフで、節子の人生の変遷が作品からも感じられるといわれています。
風景画における新境地
1964年に神奈川県大磯町の丘陵地にアトリエを構えてからは、それまで静物中心だったモチーフに風景が加わりました。特に1968年以降、フランスに移住してからの風景画は新境地を開きました。
イタリアやスペインなども訪れ、大陸の風を感じさせる作品を数多く生み出しています。ヨーロッパの大地からインスピレーションを得た情緒的な作品は、見る人の心に強く響くものがあります。
代表作品の解説
三岸節子の代表作には、画壇デビュー作となった「自画像」をはじめ、「静物」「細い運河」「花」シリーズ、そして最晩年の大作「さいたさいたさくらがさいた」などがあります。
特に「自画像」は、20歳という若さで描かれたものとは思えない「圧」で見る者に迫り、覚悟を決めた表情からは、絵を描くためならどんな苦労にも潰れない精神が感じられる作品です。
三岸節子作品の買取相場・実績
※買取相場価格は当社のこれまでの買取実績、および、市場相場を加味したご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。
花
花を生命力の象徴と捉え、赤を使うことで命の力強さをより強調させていきました。鮮やかな赤が大胆に使われた作品は代表作であり、高額査定対象です。
花 南仏カーニュにて
フランスに63歳で移住し、84歳で帰国。フランスで生活する中で、自然に身を置き、みつけた身近なモチーフや旅先の風景を制作しています。
花(ヴェロンにて)
花は生涯追い続けたモチーフで、感性や本能に基づき描いています。小品ながらも迫力ある作品は人気が高いです。
三岸節子の作品を高値で売却するポイント
三岸節子の鑑定機関・鑑定人
- 三岸太郎(高輪画廊内)
- 三岸節子の会(日動画廊内)
- 東美鑑定評価機構 鑑定委員会
一般財団法人東美鑑定評価機構は、美術品の鑑定による美術品流通の健全化及び文化芸術の振興発展に寄与する公的鑑定機関。
来歴や付帯品・保証書
来歴や付帯品:購入先の証明や美術館に貸出、図録に掲載された作品等は鑑定書が付帯していなくても査定できる場合があります。
保証書:購入時に保証書が付帯する作品もあるので大切に保管しましょう。
贋作について
ここ数十年のインターネットや化学技術の向上により、著名作家の贋作が多数出回っています。
ネットオークションでは全くの素人を装い、親のコレクションや資産家所蔵品等の名目で出品し、ノークレームノーリターンの条件での出品が見受けられます。
落札者は知識がないがために落札後のトラブルの話をよく聞きます。お手持ちの作品について「真贋が気になる」「どの様に売却をすすめるのがよいか」等、お困りごとがあればご相談のみでも承っております。
水彩・デッサン
状態良好、保管方法
主に紙に描かれていることの多い水彩やデッサンは、モチーフに対して紙の余白がある反面、しみや日焼けが目立つ事があります。
油彩画(額)
状態を良好に保つ為の保管方法
油絵は主に布を張ったキャンバスと言われるものに描かれています。他にも板に直接描かれた作品もあります。油絵の具は乾燥に弱く、色によってはヒビ割れ目立つ作品が見受けられます。
また、湿気によりカビなどが付着しやすく、カビが根深い場合は修復困難となってしまいます。高温多湿を避け、涼しい場所に飾りましょう。また箱にしまったままも湿気やすい為、最低でも年に2回は風を通すようにしましょう。
修復方法
油彩画修復の専門店にお願いすることが1番です。下手に自身で手を入れると、返って悪化するケースもあります。
版画
共通事項(状態を良好に保つ為の保管方法)
版画には有名画家が直接携わり監修した作品も多くあります。主に版画作品下部に作家直筆サインとエディション(何部発行した何番目の作品であるか)が記載されています。
主に紙に刷られており、湿気や乾燥に弱いです。また直射日光が長期間当たると色飛びの原因になります。掛ける場所・保管場所には十分注意しましょう。
リトグラフ
石版画とも言われ、ヨーロッパの歴史では古くから用いられてきました。日本でも昭和から活発に使用され、各地にリトグラフ専門の工房が存在します。
シルクスクリーン
枠にメッシュ素材(シルクやナイロン)の布を張り、油性描画剤で直接絵を描いたり、マスキングをし絵の具の通る部分通らない部分を作った版を紙に乗せ写しとる技法です。絵画以外にも写真や被服等にも応用されています。
三岸節子についての補足情報
三岸節子記念美術館について
1998年11月3日、三岸節子の生まれ故郷である愛知県尾西市(現・一宮市)に三岸節子記念美術館が開館しました。市が第三者の手に渡っていた節子の生家跡を買い取って建設したもので、常設展示室には節子の代表作が展示されています。
また、生前から残る土蔵を改修して愛着の品々を並べた土蔵展示室なども設けられており、三岸節子の芸術と人生を身近に感じることができる場所となっています。
展覧会にみる国際的評価
三岸節子の作品は、生前から数多くの展覧会で発表されてきました。1990年にはパリのサロン・ド・メや20世紀傑作展、米国ピッツバーグで開催された第18回カーネギー国際美術展に出品するなど、国際的にも高い注目を集めています。
1992年には米国のワシントン女性芸術美術館で大規模な回顧展が開催され、日本人女性画家として世界的な認知を得ることとなりました。
美術史における評価と功績
三岸節子は、女性洋画家の草分けとして、出産、育児、家長の死といった困難に屈することなく制作を続け、美術界における女性の地位の確立に大きく貢献しました。その功績は、1994年の文化功労者選出という形で認められています。
また、作家としても随筆集『花より花らしく』(求龍堂、1977年)や画集『三岸節子画集』(求龍堂)などを残し、芸術家としての思索も後世に伝えています。
まとめ
三岸節子の芸術の世界、少し身近に感じていただけましたでしょうか?
生涯を通じて芸術への情熱を失わなかった三岸節子。苦難を乗り越えながら独自の表現を追求し続け、女性洋画家の先駆者として日本の美術史に大きな足跡を残しました。
力強い色彩と独自の構図で描かれた花の作品や、フランス時代に開花した風景画は、現在も高い芸術的価値を保ち続けています。
作品をお持ちの方は、ぜひ一度専門家による査定をご検討ください。三岸節子作品は現在も美術品市場で確かな価値を保っており、作品の価値を再発見する良い機会となるかもしれません。
当社では、あなたの大切な作品の価値を最大限に引き出すべく、丁寧な査定と適切なアドバイスを提供いたします。三岸節子の作品の買取をご検討される際は、ぜひお問い合わせください。
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