はじめに
黄土色と黒を基調とした独特な表現で、シベリアでの過酷な体験を描いた画家がいます。それが香月泰男です。木炭の粉と岩絵具を組み合わせた独自の技法で、57点からなる「シベリアシリーズ」は戦後日本美術史に大きな足跡を残しました。
しかし、香月の芸術世界はそれだけではありません。「台所の画家」と呼ばれた時代から、晩年の色彩豊かな作品まで、その表現は常に進化を続けていました。本記事では、香月泰男という稀有な画家の軌跡とその作品の特徴について詳しくご紹介します。
香月泰男とは?
生い立ちから画家を志すまで
香月泰男は1911年、山口県大津郡三隅村(現・長門市)に生まれました。幼くして両親が離婚し、医者家系の厳格な祖父母のもとで育った香月は、友達と遊ぶよりも一人で絵を描くことを好んで過ごしました。
16歳で初めて油絵を手にした香月は、その後、二浪を経て1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学します。在学中は藤島武二の教室で学びましたが、むしろゴッホや梅原龍三郎、ピカソらの影響を受けながら、独自の表現を模索していきました。
画壇での活躍と評価
入学後、香月は精力的に制作活動を続け、1934年には「雪降りの山陰風景」が国画会展で初入選を果たします。この作品では、歌川広重の浮世絵から学んだ要素を油絵に昇華した独特な風景画として評価されました。さらに1939年には「兎」で文部省美術展覧会特選を受賞するなど、次々と画壇での評価を確立していきました。
1936年の卒業後は北海道庁立倶知安中学校の美術教師として赴任。その後、山口県立下関高等女学校に転任し、教鞭を執りながら創作活動を続けました。この時期の作品には、複数の矩形で区切られた画面構成や、パレットナイフを使った荒々しい表現など、独自の表現世界が確立されていく様子が見られます。
シベリア抑留が作品に与えた影響
しかし、1942年の太平洋戦争勃発により、香月の人生は大きく変わります。召集を受けて満州のハイラルへ渡り、主に物資補給を担う貨物廠に配属されました。戦時中も上官の理解があり油彩画を描き続けましたが、1945年の敗戦後はシベリアのセーヤ収容所へ抑留されました。この約2年間の過酷な抑留体験は、後の香月の作品に決定的な影響を及ぼすこととなります。
1947年5月に舞鶴に帰港した香月は教職に復帰しながら制作を再開。1960年からは画業に専念し、1969年には「シベリアシリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞します。1974年、62歳という若さで心筋梗塞のため自宅で急逝するまで、精力的に創作活動を続けました。
香月泰男の作品の魅力や特徴
シベリアシリーズの特徴と価値
香月泰男の最高傑作と言われる作品は、戦後の日本美術史に大きな足跡を残した「シベリアシリーズ」です。1947年から1974年までの約20年間に描かれた計57点の作品群は、シベリアでの過酷な抑留体験、極限状態で感じた苦しみや痛み、そして戦友たちへの鎮魂の思いを込めて描かれました。
このシリーズは当初から計画的に制作されたものではありません。1959年の「北へ西へ」「ダモイ」「1945」の3点から本格的な制作が始まり、当初は「抑留生活もの」「敗戦シリーズ」などと呼ばれていました。日常生活の中で不意によみがえる記憶をそのたびに絵画化していくという手法で制作され、1967年の画集『シベリヤ』の刊行を機に、一つの連作として体系化されていったのです。
代表作品と評価ポイント
シベリアシリーズの代表的な作品として、仲間への鎮魂を込めた「涅槃」(1960年)、移動する隊列を描いた「列」(1961年)、飢えて群がる人々の姿を描いた「餓」(1964年)があります。また「黒い太陽」(1961年)では希望を失った者の眼差しで太陽を捉え、「鋸」(1964年)では収容所での薪作り作業に使用した道具を題材にしています。
独自の画材と技法
これらの作品群において特筆すべきは、香月独自の画材使用法です。黄土色・褐色系の油絵具に日本画の岩絵具「方解末」を混合し、さらに木炭の粉を油で溶いた墨色の絵具を使用するという独特な技法を確立しました。
時代による作風の変化
一方で、香月の作品世界は「シベリアシリーズ」だけではありません。1950年代には身近な題材を好んで描いたことから「台所の画家」という異名も持っています。生活空間とアトリエの間にある場所から、日々の食材や草花を画材として選び、独自の視点で作品に収めていきました。
1960年代末からは作風にも変化が現れ始めます。それまでのモノクロームを主体とした世界から、「青の太陽」や「業火」といった作品に見られるように、青や赤などの色彩が大胆に使われるようになりました。また、1970年以降は頻繁に海外を訪れ、各地で得た新鮮な印象を作品に取り入れようとする意欲的な制作活動を展開しました。
香月の最晩年の作品として特筆すべきは、アトリエに遺された「渚(ナホトカ)」(1974年)です。この作品は、ナホトカの砂浜で一夜を過ごす兵士たちの姿を描いたもので、雑魚寝する黒い顔の群れの中に、シベリアで亡くなった戦友たちの姿も重ねられています。
この作品について、香月は以下のように記しています。
〈画家のことば〉
1947年5月初旬、私達はナホトカの渚に下車、漸くたどり着いたと言えよう。
ああ、この塩辛い水の繋がる向う岸に日本があるのかと舌でたしかめたものだ。
私たちは一晩砂浜で寝た。その時の情景を描いた積りだが、何だか日本の土を踏むことなくシベリヤの土になった人達の顔、顔を描いているような気がしてならぬ。
20数年経った今の、単なる私の感傷であろうか。
『遺作による香月泰男展』図録(日本橋髙島屋ほか、1974年)
引用:山口県立美術館
香月泰男作品の買取相場・実績
※買取相場価格は当社のこれまでの買取実績、および、市場相場を加味したご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。
兜虫
トレードマークとも言える黒と土色の作品。
連翹
独特のタッチで描かれる水彩画からの1枚。
「母子像」よりPL.12
故郷、家族の繋がりを愛した画家の代表的連作。
香月泰男の作品を高値で売却するポイント
香月泰男の鑑定機関・鑑定人
来歴や付帯品・保証書
来歴や付帯品:購入先の証明や美術館に貸出、図録に掲載された作品等は鑑定書が付帯していなくても査定できる場合があります。
保証書:購入時に保証書が付帯する作品もあるので大切に保管しましょう。
贋作について
ここ数十年のインターネットや化学技術の向上により、著名作家の贋作が多数出回っています。
ネットオークションでは全くの素人を装い、親のコレクションや資産家所蔵品等の名目で出品し、ノークレームノーリターンの条件での出品が見受けられます。
落札者は知識がないがために落札後のトラブルの話をよく聞きます。お手持ちの作品について「真贋が気になる」「どの様に売却をすすめるのがよいか」等、お困りごとがあればご相談のみでも承っております。
水彩・デッサン
主に紙に描かれていることの多い水彩やデッサンは、モチーフに対して紙の余白がある反面、しみや日焼けが目立つ事があります。
油彩画(額)
状態を良好に保つ為の保管方法
油絵は主に布を張ったキャンバスと言われるものに描かれています。他にも板に直接描かれた作品もあります。油絵の具は乾燥に弱く、色によってはヒビ割れ目立つ作品が見受けられます。また、湿気によりカビなどが付着しやすく、カビが根深い場合は修復困難となってしまいます。高温多湿を避け、涼しい場所に飾りましょう。また箱にしまったままも湿気やすい為、最低でも年に2回は風を通すようにしましょう。
修復方法
油彩画修復の専門店にお願いすることが1番です。下手に自身で手を入れると、返って悪化するケースもあります。
版画
共通事項(状態を良好に保つ為の保管方法)
版画には有名画家が直接携わり監修した作品も多くあります。主に版画作品下部に作家直筆サインとエディション(何部発行した何番目の作品であるか)が記載されています。主に紙に刷られており、湿気や乾燥に弱いです。また直射日光が長期間当たると色飛びの原因になります。掛ける場所・保管場所には十分注意しましょう。
リトグラフ
石版画とも言われ、ヨーロッパの歴史では古くから用いられてきました。日本でも昭和から活発に使用され、各地にリトグラフ専門の工房が存在します。
香月泰男についての補足情報
香月泰男美術館の収蔵作品
山口県長門市三隅には、1993年に開館した香月泰男美術館があります。『ここが〈私の〉地球だ』と語って故郷を愛した香月は、生涯この地を離れることなく創作活動を続けました。美術館には初期から晩年までの油彩画、独特の墨を使った素描画、さらには「おもちゃ」と呼ばれる手のひらサイズのオブジェなど、多様な作品が収蔵されています。
美術館の収蔵品の中でも特に注目されるのは、香月が最晩年まで手元に置いていた作品群です。また、アトリエを復元した展示空間もあり、画家の制作環境を身近に感じることができます。シベリアシリーズについては、香月の没後、遺族により57点のうち45点が山口県に寄贈され、8点が寄託されました。これらは1979年に開館した山口県立美術館の「香月泰男記念室」に展示されています。
展覧会情報と美術館活動
2023年には香月泰男美術館で「香月泰男 全版画展」「香月泰男のシベリヤ・シリーズ」「画家からの贈り物Ⅲ 新収蔵品展」が開催され、また「香月泰男ジュニア大賞絵画展」という形で次世代の芸術家たちにも影響を与えるなど、香月泰男の芸術性は現代においても大きな価値を持ち続けています。
まとめ
香月泰男は、戦前から戦後にかけて、常に新しい表現を追求し続けた画家でした。ゴッホやピカソの影響を受けながらも独自の画風を確立し、シベリア抑留という体験を通じて、さらに深みのある表現へと進化させていきました。木炭の粉と岩絵具を組み合わせた独特の技法、そして戦争体験という重いテーマを普遍的な芸術作品へと昇華させた表現力は、現代においても高く評価されています。
香月泰男の作品が私たちに問いかけているものとは何でしょうか。作品に込められた精神性と表現力に触れることで、その答えが見えてくるかもしれません。
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