荒川豊蔵作品の価値と買取相場|人間国宝が遺した志野・瀬戸黒の魅力
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はじめに
みなさんは、日本の陶芸史を塗り替えた陶芸家・荒川豊蔵(あらかわ とよぞう)をご存知でしょうか?
桃山時代の志野焼の真価を見出し、「荒川志野」という新たな境地を切り開いた荒川豊蔵。人間国宝に指定され、文化勲章も受章したその功績は、現代の陶芸界でも色褪せることなく評価され続けています。
志野焼や瀬戸黒の技法を現代に復興させた荒川豊蔵の作品は、美術品としての価値はもちろん、実用的な陶芸品としても高い評価を受けています。
本記事では、荒川豊蔵の生涯と作品の特徴、そしてその価値について詳しくご紹介します。作品の買取に関する情報もご用意していますので、荒川豊蔵の作品をお持ちの方は、ぜひ最後までお読みください。

荒川豊蔵とは?
美濃焼の血統と陶芸家への道のり
1894年、美濃焼の伝統が息づく岐阜県土岐郡多治見町(現代の多治見市)で荒川豊蔵は誕生しました。美濃焼を築いた陶祖・加藤与左衛門景一の血脈を受け継ぐ家系に生まれた豊蔵は、中学校を卒業すると、陶磁器の貿易を手がける会社に就職します。
実は、若い頃の豊蔵は画家を志していました。しかし、運命は彼を別の道へと導きます。磁器の表面に絵柄をほどこす上絵磁器の事業に携わる中で、青磁の作品で知られる陶芸家・宮永東山との出会いがありました。この出会いが、後の豊蔵の人生を大きく変えることになります。
1922年には京都伏見の東山窯で工場長を任されることとなり、ここで豊蔵は本格的に陶芸の道を歩み始めます。そして2年後、東山窯での生活が、さらなる重要な出会いをもたらすことになります。
その重要な出会いとは、後に日本の食文化と陶芸界に大きな影響を与えることになる北大路魯山人でした。1924年に東山窯に寄宿した魯山人と出会い、豊蔵は深い友好関係を築いていきます。陶芸、書、料理と、多彩な才能を持つ魯山人の存在は、豊蔵の陶芸観に大きな影響を与えました。

志野焼発見から人間国宝への軌跡
では、なぜ荒川豊蔵は”志野焼の復興者”と呼ばれるようになったのでしょうか?
その転機は1930年、36歳の時に訪れます。魯山人と共に名古屋での窯主新作展に赴いた豊蔵は、ある旧家で運命的な出会いを果たします。そこで目にしたのは、桃山時代に作られた「志野筍絵筒茶碗」と「鼠志野香炉」でした。これらの作品の素晴らしさに魅了された豊蔵でしたが、同時に一つの疑問が心に芽生えます。
当時の定説では、志野や瀬戸黒、織部などの桃山時代の陶器は、すべて瀬戸市で焼かれたとされていました。しかし豊蔵は、目の前の志野茶碗の高台(こうだい)に付着した赤土の色合いに違和感を覚えます。この小さな発見が、美濃の古窯を徹底的に調査するきっかけとなりました。
その調査の中で、豊蔵は驚くべき発見をします。大萱の牟田洞で見つけた陶片には、先ほどの「志野筍絵筒茶碗」と同じ筍の図柄が描かれていたのです。この調査により、志野の発祥地が瀬戸ではなく美濃であることが明らかとなり、日本の陶磁器史は大きな転換点を迎えることになりました。

魯山人との別離と独自の道
この発見は、豊蔵と魯山人の関係にも大きな影響を与えることになります。かつて1927年に魯山人に招かれ、鎌倉の星岡窯で窯場主任として活躍していた豊蔵でしたが、志野の陶片の発見をめぐる意見の相違から、1932年に別離することになったのです。
しかし、この別離は豊蔵にとって新たな挑戦の始まりでもありました。失意の中で郷里へと戻った豊蔵は、1934年、志野発見の地である牟田洞に自らの古式の窯を築きます。そして、厳しい環境の中で志野や瀬戸黒の再現に全てを懸けていったのです。
その努力は実を結び、豊蔵はついに志野の再現に成功します。さらに、独自の技法を取り入れた新しい表現を確立し、それは「荒川志野」として高い評価を受けるようになりました。この功績が認められ、1955年には志野と瀬戸黒の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。さらに1971年には文化勲章を受章するなど、その功績は広く認められることとなったのです。
荒川豊蔵の作品の魅力や特徴
「荒川志野」の特徴と独自の技法
「荒川志野」という言葉から、どのような陶芸作品を想像されるでしょうか?
「荒川志野」とは、古来の志野焼の技術を守りながらも、現代の感性を融合させることで独自の世界を切り開いた、荒川豊蔵独自の志野焼を指します。志野焼の特徴である長石を用いた半透明の釉薬による白い肌を基調としながら、現代的な造形と色彩を見事に調和させた作品です。
穏やかで真面目な性格だったと伝えられる豊蔵の人柄は、その作品にも如実に表れています。品格があり、かつ貫禄を備えた作品は、国内外で高い評価を受け、現代に至るまで多くの人々を魅了し続けています。
1946年には、多治見市に連房式登り窯である水月窯を築き、ここで機械を一切使用せず、日常で使う食器類を制作しました。この水月窯は現在も使用され続けており、その価値は多治見市の無形文化財としての指定からも伺えます。
代表的な作品と評価
荒川豊蔵の作品を語る上で、特に注目すべきは茶碗の存在です。興味深いことに、豊蔵の制作した茶碗の多くは、箱書きで「碗」という漢字に代えて「垸」の感じが使われています。これは豊蔵作品を見分ける上での重要な特徴の一つとなっています。
志野茶垸のバリエーションは実に豊かです。シンプルな作品もあれば、半透明の白い釉薬の下に鉄絵が施された作品もあり、その表現は多岐にわたります。しかし、いずれの作品にも共通しているのは、ぼってりとした素朴な造形が醸し出す温かみと、品のある落ち着いた魅力です。
また、荒川豊蔵を代表するもう一つの作品が瀬戸黒茶垸です。この瀬戸黒には「天正(てんしょう)黒」と「引き出し黒」という二つの呼び名があり、それぞれに興味深い由来があります。
「天正黒」は桃山時代の天正年間に多く制作されたことから、「引き出し黒」は鉄分を含んだ釉薬を焼成途中で窯から取り出して冷やすことで黒色を引き出す、その特徴的な製法に由来します。豊蔵は、瀬戸黒茶垸で、特徴的な釉薬の縮れを芸術表現として昇華させることに成功しました。
荒川豊蔵作品の買取相場・実績
※買取相場価格は当社のこれまでの買取実績、および、市場相場を加味したご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。
紅白梅茶碗

志野酒盃

荒川豊蔵の作品の査定・買取について、まずはお気軽にご相談ください。
荒川豊蔵の作品を高値で売却するポイント
荒川豊蔵の鑑定機関・鑑定人
- 東美鑑定評価機構 鑑定委員会
一般財団法人東美鑑定評価機構は、美術品の鑑定による美術品流通の健全化及び文化芸術の振興発展に寄与する公的鑑定機関。
来歴や付帯品・保証書
来歴や付帯品:購入先の証明や美術館に貸出、図録に掲載された作品等は鑑定書が付帯していなくても査定できる場合があります。
保証書:購入時に保証書が付帯する作品もあるので大切に保管しましょう。
贋作について
ここ数十年のインターネットや化学技術の向上により、著名作家の贋作が多数出回っています。ネットオークションでは全くの素人を装い、親のコレクションや資産家所蔵品等の名目で出品し、ノークレームノーリターンの条件での出品が見受けられます。
落札者は知識がないがために落札後のトラブルの話をよく聞きます。お手持ちの作品について「真贋が気になる」「どの様に売却をすすめるのがよいか」等、お困りごとがあればご相談のみでも承っております。
陶磁器
状態を良好に保つ為の保管方法
ガラス質の釉薬で表面を覆われた陶器や磁器は、観賞用や日常食器などで使われることがあります。表面が主にガラス質な為、水で洗う等したら表面の主な汚れは取れます。唯一、割れや欠けは避けるように大切に取り扱いましょう。もし割れたり欠けたりしても「金継ぎ」と言う技法で修復は可能です。近年では金継ぎの跡も鑑賞の対象として評価されつつあります。
共箱(ともばこ)
陶磁器を収納する箱の事で、蓋の表に表題(作品タイトル)、蓋の内側に作家のサインが作家自身の直筆で記載されてあります。共箱は陶磁器の証明書の役割をしており、無い場合は査定額に響く場合もあります。
書付、識箱・極箱
共箱の分類に書付(かきつけ)と識箱(しきばこ)・極箱(きわめばこ)があります。
書付とは茶道具を中心に各家元が優れた作品に対して銘や家元名を共箱に記します。
識箱・極箱は、作者没後、真贋を証明する為、鑑定の有識者や親族が間違いがないと認定した物に共箱の面や裏に記します。
荒川豊蔵についての補足情報
荒川豊蔵資料館の見どころ

荒川豊蔵の芸術の真髄に触れてみたいと思われる方に、ぜひお勧めしたい場所があります。それは岐阜県可児市にある「荒川豊蔵資料館」です。
この資料館は、1984年に豊蔵本人が「豊蔵資料館」として創設したものが始まりです。2017年に可児市に寄贈された際に「荒川豊蔵資料館」と名称を変更し、現在に至っています。
ここでは、荒川豊蔵の作品はもちろんのこと、彼が生涯をかけて収集した古陶磁や工芸品、さらには貴重な出土陶片まで、幅広いコレクションを見ることができます。また、敷地内には旧荒川豊蔵邸や陶房が残されており、豊蔵の創作の場に思いを馳せることができます。
水月窯の歴史と継承
荒川豊蔵の志野焼への情熱は、現在も確かに受け継がれています。豊蔵には2人の息子がおり、長男の荒川武夫は父とともに大萱窯や水月窯の築窯に携わりました。そして現在は、次男の荒川達の息子の荒川広一が水月窯の3代目当主として、その伝統を守り続けています。
また、意外に思われるかもしれませんが、若い頃に画家を志していた豊蔵は、陶芸作品だけでなく、掛軸や書画なども残しています。これらの作品も荒川豊蔵資料館に所蔵されており、陶芸家としてだけでなく、多彩な芸術性を持つ表現者としての豊蔵の一面を伝えています。
まとめ
志野焼の歴史を塗り替える大発見から、「荒川志野」という独自の境地の確立まで、荒川豊蔵の足跡は日本の陶芸史に大きな影響を残しました。人間国宝として認められ、文化勲章も受章した彼の作品は、現代においても高い評価を受け続けています。
特に志野茶垸や瀬戸黒茶垸といった代表作は、その芸術性と実用性を兼ね備えた逸品として、今なお多くの収集家や美術品愛好家を魅了しています。作品をお持ちの方は、まずは専門家による査定をお勧めします。
当社では、あなたの大切な作品の価値を最大限に引き出すべく、丁寧な査定と適切なアドバイスを提供いたします。荒川豊蔵の作品の買取をご検討される際は、ぜひお問い合わせください。
また、LINEからの査定依頼も受け付けています。(スマホで写真を撮って送るだけ!)詳しくは【LINE査定ページ】をご覧ください。