はじめに
みなさん、「日本のゴッホ」や「裸の大将」として知られる画家、山下清をご存知ですか?貼り絵やペン画で日本の風景を鮮やかに描き出した山下清の作品は、素朴な魅力と卓越した技法で見る人の心を捉えています。
今回は、山下清の人生と作品の魅力、そして芸術的価値についてご紹介します。作品の買取に関する情報もありますので、山下清作品をお持ちの方、あるいは売却を検討されている方は、ぜひ最後までお読みください。
山下清とは?
八幡学園での才能開花
出典:THE歴史列伝
1922年に東京・浅草に生まれた山下清は、3歳の時に重い消化不良にかかり、その後遺症として軽い言語障害と知的障害が残りました。決して恵まれた環境ではなかった幼少期を経て、12歳で千葉県の八幡学園に入園します。
ここで清の人生を大きく変える出会いが待っていました。それは「ちぎり紙細工」との出会いです。学園での教育の一環として始めた貼り絵は、彼の隠れていた才能を一気に開花させることになりました。
初期の作品は蝶やトンボなど、身近な昆虫を題材にしたものが中心でした。小学校でのいじめ体験から、当初は人物画を避けていたと言われています。
しかし、学園生活に馴染むにつれ、日常の風景や友達との思い出をモチーフにした作品を手がけるようになっていきました。この変化は、清の心の成長を表すものとしても注目されています。
その才能は瞬く間に注目を集め、16歳の時には銀座で個展を開催。梅原龍三郎、安井曾太郎から「作品だけからいうとその美の表現の烈しさ、純粋さはゴッホやアンリ・ルソーの水準に達していると思う」という高い評価を受けました。
「裸の大将」と呼ばれた放浪画家
18歳になった1940年、清は突如として八幡学園を飛び出し、放浪の旅に出ます。当時は第二次世界大戦の最中で、徴兵検査を避けるためだったと言われています。
生活の不安を抱えながらの旅でしたが、清は自由な心境で各地を訪れ、気の向くままに旅を続けました。日々の暮らしの心配よりも、放浪の喜びを感じていたようです。
放浪を続ける清を探すため、朝日新聞は「山下清を見かけませんでしたか?」という大々的な捜索キャンペーンを展開。この報道をきっかけに、1954年、鹿児島で清の姿が発見され、長年続いた放浪の旅に終止符が打たれました。
この放浪生活がもとになり、後に映画やドラマ「裸の大将」として親しまれることになりますが、実際の清は放浪中に絵を描くことはほとんどありませんでした。代わりに、驚異的な記憶力で風景を心に焼き付け、学園や自宅に戻ってから作品として描き上げていったのです。
驚異的な記憶力と創作スタイル
山下清の最大の特徴は、一度見た風景を細部まで正確に記憶し、後から作品として再現できる驚異的な記憶力でした。この能力は、サヴァン症候群の一種ではないかとも言われています。
放浪生活を終えた後、34歳で開催された東京の大丸百貨店での個展では80万人もの来場者を集め、その後も全国で130回以上の展覧会が開かれ、総観客数は500万人を超えました。
1961年には約40日間のヨーロッパ旅行も実現。この時初めてスケッチブックを持参し、帰国後、数々の印象的な作品を残しています。
山下清の作品の魅力や特徴
貼絵における3つの革新的技法
山下清の貼絵、実際にどのような特徴があるかご存知ですか?貼絵には、他の追随を許さない独自の特徴があります。
- 緻密なグラデーション表現
色紙を3ミリ程度の大きさにちぎり、少しずつ色を変化させることで、驚くほど繊細なグラデーションを実現しています。限られた色数の色紙であっても、まるで油彩画のような豊かな色彩表現を可能にしました。 - こよりによる立体表現
清の作品には「こより」と呼ばれる技法が使われています。色紙を細く捻って棒状にしたこよりを使うことで、立体的な線や輪郭を表現。平面的になりがちな貼絵に、独自の立体感を与えることに成功しました。 - 多様な素材の活用
色紙だけでなく、古い切手やチラシ、包装紙なども巧みに使用。素材の特性を活かした表現は、作品に独特の味わいと奥行きを与えています。
その他の技法と表現方法
貼絵以外にも、清は様々な技法に挑戦しました。特に晩年は、高血圧網膜症の影響もあり、比較的疲れを感じないペン画の制作に力を入れていきます。フェルトペンで描かれたペン画は、一切の迷いのない伸びやかな線で描かれ、独自の魅力を放っています。
また、「皿絵」と呼ばれる独特の作品群も残しています。これは学園時代に使用していた紙皿に描いた作品で、曲面という特殊な条件下での制作でした。清は、この制約をむしろ活かし、立体感のある独創的な表現を生み出しました。この経験は、後の陶器の絵付けにも活かされることになります。
また、陶器の絵付けや水彩画、油彩画など、多彩な表現方法も手がけました。それぞれの技法で、清ならではの繊細な表現と大胆な構図が特徴となっています。
代表作品とその特徴
山下清の代表作には、以下のような作品があります:
「長岡の花火」(1950年) 28歳の時に制作した最も有名な作品の一つです。漆黒の夜空に咲く大小の花火、その光に照らされる観衆、水面に映る花火の反射まで、細やかな描写が特徴です。
「桜島」(1954年) 放浪の旅の最後に見た風景を描いた作品です。奥に桜島、中央には海と蒸気船が描かれ、波のきらめきまでもが緻密に表現されています。
「日本平の富士」(1965年) 富士山は清が好んで描いたモチーフの一つでした。色鮮やかでありながら落ち着いた独特のタッチで描かれ、富士山の荘厳な雰囲気を見事に表現しています。極限まで細かくちぎられた色紙の重ね貼りによって、深みのある温かな作品に仕上がっています。
「かたつむり・とんぼ」 貼り絵との出会いの時期に制作された初期作品群です。赤や青など単色で描かれることが多く、シンプルながらも清の素朴な感性が垣間見える作品として評価されています。後年はペン画でも同様のモチーフを手がけ、異なる技法での表現にも挑戦しています。
「東海道五十三次」(1964-1971年) 清の遺作となった大作で、約5年の歳月をかけて制作された全55枚の作品群です。東京から京都までの風景をペン画で描き、それぞれに日記のような文章も添えられています。
「パリのエッフェル塔」(1961年) ヨーロッパ旅行後に制作された水彩画作品。鉄骨の構造を緻密に描写しながらも、独特の温かみのある表現が特徴です。
山下清作品の買取相場・実績
※買取相場価格は当社のこれまでの買取実績、および、市場相場を加味したご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。
花火
山下清を代表する「花火」は評価の高いモチーフです。
富士山
色紙に色ペンを使った作品。「ベニス」等と共に人気の図柄です。
蝶々
蝶々・魚・金盞花などと共に作家が多く描いた作品から。
山下清の作品を高値で売却するポイント
山下清の鑑定機関・鑑定人
来歴や付帯品・保証書
来歴や付帯品:購入先の証明や美術館に貸出、図録に掲載された作品等は鑑定書が付帯していなくても査定できる場合があります。
保証書:購入時に保証書が付帯する作品もあるので大切に保管しましょう。
贋作について
ここ数十年のインターネットや化学技術の向上により、著名作家の贋作が多数出回っています。
ネットオークションでは全くの素人を装い、親のコレクションや資産家所蔵品等の名目で出品し、ノークレームノーリターンの条件での出品が見受けられます。
落札者は知識がないがために落札後のトラブルの話をよく聞きます。お手持ちの作品について「真贋が気になる」「どの様に売却をすすめるのがよいか」等、お困りごとがあればご相談のみでも承っております。
水彩・デッサン
主に紙に描かれていることの多い水彩やデッサンは、モチーフに対して紙の余白がある反面、しみや日焼けが目立つ事があります。
版画
共通事項(状態を良好に保つ為の保管方法)
版画には有名画家が直接携わり監修した作品も多くあります。主に版画作品下部に作家直筆サインとエディション(何部発行した何番目の作品であるか)が記載されています。主に紙に刷られており、湿気や乾燥に弱いです。また直射日光が長期間当たると色飛びの原因になります。掛ける場所・保管場所には十分注意しましょう。
リトグラフ
石版画とも言われ、ヨーロッパの歴史では古くから用いられてきました。日本でも昭和から活発に使用され、各地にリトグラフ専門の工房が存在します。
山下清についての補足情報
主要美術館の収蔵作品
山下清の作品は、長野県の山下清放浪美術館や岐阜県の古い町並み美術館などで鑑賞することができます。特に放浪美術館では、貼絵を中心に、陶磁器の絵付けやペン画など、様々な技法の作品が展示されています。
また、群馬県の上牧温泉辰巳館には、清が長期滞在して制作に励んだ際の作品が展示されており、その時代の創作の足跡を辿ることができます。
まとめ
驚異的な記憶力と独自の技法で、日本の美術史に大きな足跡を残した山下清。色紙の繊細な表現からペン画の大胆な筆致まで、その多彩な作品群は芸術的価値を高く評価され続けています。
貼絵やペン画、水彩画など、様々な技法で表現された山下清の世界を、少し身近に感じていただけたでしょうか。作品をお持ちの方は、ぜひ専門家による査定もご検討ください。新たな価値の発見につながるかもしれません。
当社では、あなたの大切な作品の価値を最大限に引き出すべく、丁寧な査定と適切なアドバイスを提供いたします。山下清の作品の買取をご検討される際は、ぜひお問い合わせください。
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