パリを描いた巨匠・荻須高徳:作品の特徴と相場、高値売却のヒント

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  • 水彩
  • 版画
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はじめに

パリの街角に魅せられた画家がいます。その名は荻須高徳。20世紀の日本を代表する洋画家の一人ですが、その名前をご存知でしょうか?荻須は、古い石造りの建物や路地裏の風景を独特の視点で捉え、半世紀以上にわたってパリの魅力を画布に描き続けました。今回は、この稀有な芸術家の生涯と作品の魅力、そして現在の評価についてご紹介します。荻須高徳の作品をお持ちの方、あるいは購入や売却をお考えの方は、ぜひこの記事をお読みください。

クーロンヌ通り
クーロンヌ通り

荻須高徳とは?

日本が誇る洋画家としての経歴

荻須高徳は、1901年に愛知県中島郡(現在の稲沢市)に生まれました。1921年に上京し、川端画学校で藤島武二に師事しました。その後、1922年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に入学。1927年に卒業すると、同年9月にフランスへ渡ります。

パリでの活動期間と国際的評価

荻須は、1927年から1939年まで、そして1948年以降、生涯の大半をパリで過ごしました。1928年には、渡仏してわずか1年でサロン・ドートンヌに入選。その後も、フランスの高名な美術展覧会に出品したり、ヨーロッパ各地で個展を開催したりするなど精力的に活動を続けました。

文化勲章受章とレジオン・ドヌール勲章授与

荻須の芸術性と文化的貢献は、日本とフランスの両国で高く評価されました。1981年には文化功労者に選任され、1986年には文化勲章を授与されています。また、1956年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与されました。これは、フランスの最高勲章であり、荻須の芸術がフランスに与えた影響の大きさを物語っています。

※シュヴァリエ・ド・レジオン・ドヌール勲章
1802年にナポレオン・ボナパルトによって創設された、フランスで最も権威のある栄典の一つ。フランスの文化、科学、軍事、産業など多様な分野において卓越した功績をあげた人物に贈られ、性別や国籍を問わず授与される。フランス大統領による承認を経て、フランス政府から授与される。

荻須高徳の画風の変遷

初期の作品から晩年までの変化

荻須の初期の作品には、東京美術学校の先輩でありパリでの生活を支えた佐伯祐三や、その佐伯に影響を与えたヴラマンクやモーリス・ユトリロの影響が強く表れており、暗く激しいタッチが特徴的でした。

サン・ソヴール通り
サン・ソヴール通り

佐伯祐三イズムを引き継いだ荻須

荻須は、早世の天才画家佐伯祐三のイズムを引き継ぎました。佐伯との共同生活は1年にも満たなかったものの、一緒にパリ下町の建物を描いたり、写生旅行に出かけたりするなど、佐伯から受けた影響は大きかったのです。

独自のスタイルの確立

佐伯の死後、それらの影響はだんだんと薄くなり、色彩は大きく変化しました。パリで生活する人々やその街並みを温かく見守るような穏やかなタッチで描かれる作品が多くなりました。荻須は、この独自のスタイルを確立することで、国際的な評価を得ていきました。

サンマルタン運河
サンマルタン運河

荻須高徳の作品の魅力や特徴

都市風景画の巨匠としての魅力

荻須の作品の最大の魅力は、パリやベニスの街並みを描いた風景画にあります。彼は、凱旋門やエッフェル塔などの有名な建造物ではなく、パリの古い建物や寂れた路地裏、何気ない街角を好んで描きました。例えば、「ガブリエル通り」(1977年)のリトグラフ作品では、人の姿をほとんど描き入れていないにもかかわらず、そこには人が生活している温もりが感じられます。

ガブリエル通り
ガブリエル通り

パリだけでなく、荻須はベニスの風景にも魅了されました。パリとは対照的な明るい陽光の射す都市ベニスで、荻須は豪華な宮殿や観光名所のような表向きの風景ではなく、古ぼけた赤い壁や流れる運河に瞬く建物など、人々の温かみを含んだ町の奥、裏側の空気に目を向けて多くの作品を描きました。

建物の質感やフォルムへのこだわり

荻須の作品の特徴は、人物よりも建築物に焦点を当てたことにあります。彼は、パリの石造りの建物が持つ質感や形態、そして広告や看板といった都市の要素を緻密に描写したのです。特に、古い建物や路地裏、何気ない街角に魅了され、そこに歴史と日常生活の息吹を見出していました。荻須は「純粋か、否か」という佐伯祐三の作品制作の評価基準を守り、ひたむきに向き合い続けました。その結果、独自の表現スタイルを確立したのですね。彼の作品を見ていると、まるでパリの街角を散歩しているような気分になりませんか?

ラファエル広場
ラファエル広場

 

荻須高徳の独特な技法

細部まで緻密に描き込む手法

荻須の作品の魅力は、細部まで緻密に描き込む手法にあります。彼は、建物の質感や広告、看板などの都市の要素を丁寧に表現しました。この技法により、荻須の絵画からはパリの日常生活や歴史が感じられるようになっています。

油彩を用いた独自の色彩表現

荻荻須は、油彩を中心に、水彩やリトグラフなど様々な技法を駆使して作品を制作しました。初期の作品では暗く激しいタッチが特徴的でしたが、皆さんはその変化にお気づきでしょうか?徐々に穏やかで温かみのある色使いへと変化していったのです。特に晩年の作品では、赤やベージュ、茶色を基調とした色彩で古い建物を描き、グレーがかった水色で空を表現するなど、独自の色彩感覚を確立しました。この独特な色彩表現により、荻須の作品は見る人に郷愁を感じさせ、パリの批評家たちからも高く評価されたのです。荻須の作品を見ると、どんな気持ちになりますか?きっと、パリの空気を感じられるはずです。

代表作品の紹介

リオ・ディ・カトロン
「リオ・ディ・カトロン」(1972年)
モントルグイユ通り
「モントルグイユ通り」(1970年)
金の時計盤
「金の時計盤」(1978年)

荻須の代表作には、「ラ・グリーユ」(1977年)や「リオ・ディ・カトロン」(1972年)、「金の時計盤」(1978年)、「モントルグイユ通り」(1970年)などがあります。特に「靴屋メトロ」(1986年)は、版画作品の中で最も評価が高く、晩年の最高傑作とされています。これらの作品は、荻須の独特な視点と技法が結実したものとして高く評価されています。

これらの作品の中で、特にどの作品に興味を惹かれましたか?機会があれば、ぜひ実際に美術館で荻須の作品を鑑賞してみてください。きっと新たな発見があるはずです。

荻須高徳作品の買取相場・実績

※買取相場価格は当社のこれまでの買取実績、および、市場相場を加味したご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。

ラン(Laon) フランス北部

買取実績価格:80~100万円

ラン(Laon)はフランス北部、歴史的な建造物が残る城壁が美しい街です。この作品は旧市街への入り口の門で、荻須らしいしっかりしたフォルムと水彩ならではの即興的なタッチが見事に一致した作品です。

靴屋メトロ

買取実績価格:30~40万円

この作品は、パリを描いた版画の中で最も人気ある作品です。外に張り出した靴屋の看板や赤い壁がしゃれていて当時のパリをほうふつとさせます。荻須はこうした街の切り取り方に非常に長けており、パリを描いた数々の名品を生み出しました。

ア・ラ・グリーユ

買取実績価格:15~20万円

パリで暮らした荻須は街の風景を生涯を通して描きました。この作品は緑の壁が個性的なたたずまいのレストランで、荻須はこうした味わいのある看板や日よけのある店を好んで描き、どれもパリの街への愛が感じられます。

荻須高徳の作品を高値で売却するポイント

荻須高徳の鑑定機関・鑑定人

レザミ・ド・オギス

贋作問題と真贋鑑定の重要性

残念ながら贋作の問題もあります。荻須の直筆(油絵等)を取引する際は、荻須恵美子氏の鑑定書が必要となります。将来売却する可能性がある方は、事前に鑑定書を取得することをお勧めします。また、版画作品は画集と比べると色味が抜けている作品をよく見かけ、特に赤色が抜けやすいので注意が必要です。作品の売買を考える際は、必ず信頼できる鑑定機関の評価を受けることが大切です。

来歴や付帯品・保証書

来歴や付帯品:購入先の証明や美術館に貸出、図録に掲載された作品等は鑑定書が付帯していなくても査定できる場合があります。
保証書:購入時に保証書が付帯する作品もあるので大切に保管しましょう。

状態が悪くても買取可能?

作品によっては修復可能なレベルであれば買取できる場合があります。著しく破損・汚損が激しい作品は難しいこともあります。

水彩・デッサン

状態良好、保管方法

主に紙に描かれていることの多い水彩やデッサンは、モチーフに対して紙の余白がある反面、しみや日焼けが目立つ事があります。

油彩画(額)

状態を良好に保つ為の保管方法

油絵は主に布を張ったキャンバスと言われるものに描かれています。他にも板に直接描かれた作品もあります。油絵の具は乾燥に弱く、色によってはヒビ割れ目立つ作品が見受けられます。また、湿気によりカビなどが付着しやすく、カビが根深い場合は修復困難となってしまいます。高温多湿を避け、涼しい場所に飾りましょう。また箱にしまったままも湿気やすい為、最低でも年に2回は風を通すようにしましょう。

修復方法

油彩画修復の専門店にお願いすることが1番です。下手に自身で手を入れると、返って悪化するケースもあります。

版画

共通事項(状態を良好に保つ為の保管方法)

版画には有名画家が直接携わり監修した作品も多くあります。主に版画作品下部に作家直筆サインとエディション(何部発行した何番目の作品であるか)が記載されています。主に紙に刷られており、湿気や乾燥に弱いです。また直射日光が長期間当たると色飛びの原因になります。掛ける場所・保管場所には十分注意しましょう。

リトグラフ

石版画とも言われ、ヨーロッパの歴史では古くから用いられてきました。日本でも昭和から活発に使用され、各地にリトグラフ専門の工房が存在します。

荻須高徳についての補足情報

稲沢市荻須記念美術館の紹介

美術館

荻須の故郷である愛知県稲沢市には、「稲沢市荻須記念美術館」があります。1983年に設立されたこの美術館では、荻須本人から寄贈された作品の数々や、パリのアトリエの再現、美術館主催の展覧会など、様々な文化交流が行われています。

美術館内では「常設 荻須高徳展」が展示されており、この美術館では、荻須の画業の全貌を一望できます。美術学校で学んでいた頃の初期作品から、戦時中の日本滞在期に描かれた絵画、そして戦後再びパリに渡ってからの晩年の傑作まで、200点を超える作品が展示されています。荻須の芸術がどのように進化していったのか、その軌跡をたどるのに最適な場所といえるでしょう。

近年の荻須高徳作品の評価動向

荻須高徳のパリの風景を描いた油彩作品は、現在でも高額で取引されることがあります。しかし、その相場は時代とともに変化しています。バブル期には、数千万円単位で取引される作品が数多く存在しました。ところが、近年の美術市場では状況が変わってきています。美術品取扱業者や専門家の間では、1,000万円を超える価格がつく荻須の作品を見つけることが難しくなっているという声が聞かれます。このように、荻須作品の相場は以前ほど高くはありませんが、依然として重要な美術品として評価されています。

版画作品(リトグラフ等)は油彩と比べて市場価値が大幅に下がりますが、「靴屋メトロ」のような代表作は依然として高い評価を受けています。作品の状態や、制作年代、サイズなどによって価格は大きく変動するため、専門家による査定が重要です。

文化財保護と国際貢献

荻須は芸術家としてだけでなく、日本とフランスの文化交流にも大きく貢献しました。特筆すべきは、「松方コレクション」の日本への寄贈返還に尽力したことです。また、日本で初のルーブル美術館展の開催にも貢献しました。これらの功績により、荻須はフランスと日本の文化の架け橋として重要な役割を果たしました。

※松方コレクション
日本の実業家・松方幸次郎が大正初期から昭和初期にかけて収集した美術品のコレクション。浮世絵約8,000点と西洋美術約3,000点以上を含む世界的に貴重なコレクションとして知られている。1959年、フランス政府から日本に一部が返還されたことでも有名。

まとめ

荻須高徳は、半世紀以上にわたってパリの魅力を画布に描き続けた稀有な芸術家です。彼の作品は、細部まで緻密に描かれた建物や街並みを通じて、見る人をパリへと誘います。初期の暗く激しいタッチから、徐々に穏やかで温かみのある色使いへと変化していった荻須の画風は、独特の魅力を持っています。
現在、荻須作品の相場は変動していますが、その芸術的価値は変わりません。バブル期ほどの高値ではありませんが、依然として美術市場で重要な位置を占めています。作品の購入や売却をお考えの方は、専門家による適切な査定を受けることをおすすめします。
荻須高徳の作品を通じて、パリの街の魅力を感じてみませんか?彼の絵画は、私たちを時空を超えた旅へと誘ってくれるはずです。芸術としての価値はもちろん、投資対象としても注目される荻須作品。あなたも荻須の描く世界に浸ってみてはいかがでしょうか。

荻須高徳作品の売却に関するご相談は、専門家にお任せください。経験豊富なスタッフが、作品の査定から売却までを丁寧にサポートいたします。まずは、お気軽にお問い合わせください。

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