2024.05.07
戦後日本画の革命者 山本丘人
東京からほど近い箱根の芦ノ湖のほとりに成川美術館という個人美術館があります。芦ノ湖越の富士山が見られる絶景ポイントとしても有名なこの美術館ですが、もともとは日本画の山本丘人のコレクションを収蔵するために建てられ、現在では丘人コレクション150点を中心に、日本画の総点数は4000点にもなるそうです。私は以前、箱根に近い所に住んでいて、月に2回は丘人の作品を鑑賞しに成川美術館へ足を運んでいました。初めて丘人の作品を観て以来、”花鳥画的な日本画”とは全く異なるモチーフに驚き、詩的な世界にすっかり魅入られてしまいました。丘人は大観・栖鳳のようなメジャーな作家ではありませんが、日本画の歴史に“創造美術の発足”という革命を起こした風雲児であり、文学性・詩的な表現が高く評価されています。
戦後の創造美術の出発
山本丘人は1900年に東京に生まれ、東京美術学校(現・東京芸大)卒業後は大和絵の権威であった松岡映丘に師事します。その後、1945年の第二次大戦の敗戦後の日本画滅亡論が風雲急を告げる中「世界性に立脚する日本画」を掲げて創造美術を立ち上げました。官展という政府主導の団体が強かった時代に新たな団体を立ち上げるのは革命と言え、相当な覚悟が必要だったようです。丘人の画業としては創造美術の立ち上げ~1961年の代表作「夕焼け山水」を含む時期が一つの頂点といわれています。金銀箔を多用し太く強い線で描かれたダイナミックな画風を示す「ますらおぶり(男性的でおおらかな)」として大変人気がありました。荒々しい岩山、緊迫した川の流れ。対象を大きくとらえた遠近感。どれもそれまでの日本画にない革命的な作風でした。
「文学青年くずれ」
丘人の真骨頂は革命的な日本画だけでなく、70歳以降に発表された文学的・詩的な世界にあります。成川美術館所蔵の代表作「星空の牡丹」では、星空という宇宙空間に牡丹という、普通の花鳥画ではあり得ない組合せで幻想的な世界を作っています。丘人は自作について「全面虚構空間の所産。ある日の幻想である」と語り、自然の写しではなく永遠の深い空間と過ぎ行く美の儚さを感じさせる世界観を表現しました。また萩原朔太郎等の詩人のファンだった事もあり自らを「文学青年くずれ」と称しました。
77歳で文化勲章を受章、丘人の文学的な表現は円熟味を増し、晩年には女性が登場する作品を数多く発表します。夢の中で出会う憧れの女性のような後ろ姿や横顔で描かれる女性の作品には、詩をこよなく愛する丘人が行きついた恍惚としたものを感じさせます。
◆山本丘人を鑑賞できる美術館 成川美術館:
加山又造、平山郁夫、田渕俊夫などの現代日本画が数多く鑑賞できます。