作家・作品紹介

陶芸の枠を超えた唯一無二の天才 八木一夫

陶芸の枠を超えた唯一無二の天才 八木一夫

「伝統と前衛、 焼きものであるのか彫刻であるのか、或いは工芸であるのか美術であるのかー。」陶芸家の八木一夫は60歳でこの世を去るまで自問自答の中で制作を続けました。今回は鋭い感覚と知性を併せ持った稀有の才能である八木一夫をご紹介いたします。

1918年に京都五条坂の陶家に生まれた八木一夫は、非実用的なオブジェ作品を制作しながらも、生涯「茶わん屋」を自称し、生活に供するクラフトや、作品としての器を制作し続けました。同時代の前衛美術の動向と歩みを一にした先鋭な造形を生み出す一方で、伝統文化にも深い洞察を示し、とりわけ古陶磁に関しては、つくり手としては異例といえるほど数多くの秀逸な著述を遺しています。


陶芸の枠を超えた唯一無二の天才 八木一夫

ピカソやクレーらとの共通項

初期の器制作からオブジェ制作に至ったのは、敗戦直後の1940年代後半から1950年代半ば辺りで、特に八木の心をとらえたのは古い中国や朝鮮の焼きものでした。とりわけ心象性溢れた土ものの民窯系のもの、それらの絵付意匠にピカソクレーらとの共通項を見い出しました。この頃の作風は、鉄象嵌や掻き落としを主な技法としつつ、表面にピカソクレーミロのような抽象絵画の意匠を施した白化粧の壺を盛んに制作していたそうです。

1950年3月、八木の作品4点がニューヨーク近代美術館に展示されることになり、「新しいものと古典との結婚、これが私の狙いです。ピカソクレーの近代絵画と渋い日本の轆轤(ろくろ)の味を、作品の上でどう調和させるかが私の仕事です。」と述べていたそうです。しかし、この快挙から間もなく八木は自ら発足した走泥社同人の山田光と鈴木治との間で、古典陶器の模倣をやめるという不文律をつくり、これ以降の制作は轆轤挽きのシンメトリーな壺の側面をへこませたり、口を複数取り付けたり、まさに器の解体実験といった趣を呈しています。この白化粧の器から、1954年の【ザムザ氏の散歩】(写真左)を経て、無釉の焼締のオブジェへと至る過程は、八木一夫の中の日本の伝統観が変化していく過程ともみられます。


陶芸の枠を超えた唯一無二の天才 八木一夫

唯一無二の天才

時代の変化と共に唯一無二の作品を創り上げる八木は過去の新聞インタビューで次のように述べています。
「そやからボクは轆轤のやり方、解釈を変えてるもん。あるべき引力の関わり方を変えてます。僕のゆがんだ壺を人が見て「不思議な轆轤やなあ」と思ってくれればそれでいい。轆轤が生きてるんやもん。
“轆轤が基本”と概念的につかんでるのは左側通行みたいなもんで、僕は“たまには後ろ向いて歩け”と言いたい。
オブジェ焼の僕が壺を作ると、人は“節操がない”言うようやけど、時には自分のイスをいざらしたりせんことにゃ、生きてる感じせんのですわ、僕は」

解釈を変える過程で普遍的な引力の関わり方までも変えて表現する。自問自答を繰り返した結果、誰もが、通常は…。普通は…。と疑問にすら思わない部分にまで辿りついたのではないでしょうか。
改めて彼の作品を鑑賞すると、決して多数派ではないその主観を見事に作品に体現し、唯一無二の作品を造り上げる事が出来る天才だと思いました。また制作に対する向き合い方が八木一夫の人生そのものであり、その姿勢は亡くなって45年経つ今も尚、陶芸界でも影響を与え続けています。

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