2022.12.06
【LOVE & PEACE】-ジョン・レノン-
物心ついた時からビートルズにどハマりし、ジョンレノンと同じギターを購入した私が今回はジョンレノンについてご紹介します。
愛情への飢え
ジョンレノンは1940年10月9日、航海士の父親と音楽の才能がある母親の元にリヴァプールで生を受けました。当時はドイツ軍の空襲真っ最中で航海士の父は航海で不在になることが多く、母も他の男性と同棲していたこともあり、ジョンは母と母の姉(叔母)に2人に育てられました。母からは音楽の手解きを受け、叔母からは人生について教わりました。複雑な家庭環境で育ったジョンはうまく自己表現をすることができず、周りからは扱いにくい存在だったと言われています。一方で言葉遊びや先生を風刺画で表すなど、他の生徒にはないセンスを持ち一目を置かれていたそうです。やがて絵画の才能は認められリヴァプール・カレッジ・オブ・アートという美術の専門学校へ通い絵画の勉強をしました。
才能の開花
幼少期が複雑でうまく言葉で表現すことができなかったジョンレノンは、寂しさを紛らわすためにバンド活動をはじめます。そこでポール・マッカートニーと出会いザ・ビートルズを結成、音楽・バンドで自己表現することに目覚めます。やがて彼らは数々のヒット曲を生み出し、老若男女知に支持され、世界中でザ・ビートルズ旋風を起こしました。そして芸術家で後に妻になるオノ・ヨーコとの運命的な出会いをします。
オノ・ヨーコ
1933年に東京で生まれたヨーコは幼少期より哲学・芸術に触れ大学で音楽と詩を学び、23歳で前衛芸術家として活動をスタートさせます。1966年ロンドンのギャラリーでのヨーコが個展を開いた際に友人の紹介でジョンが訪れます。同じアーティスト同士、心の琴線に触れるものがあったのか、後にジョンとヨーコは交際・結婚します。2人が音楽と芸術の可能性を広げていく中でベトナム戦争が始まり、平和活動への関心が高まっていきます。
LOVE&PEACE
2人は世界中の戦争の終結を願い、まずは一人一人が出来る事・祈る事を音楽や芸術を通して訴え、愛と平和をテーマに活動を続けました。幼少期に愛に飢え、愛を知り、音楽や芸術を通して与える側になったジョン。40歳の時にジョンは銃撃されこの世を去りましたが、今でも多くのファン、ミュージシャン、芸術家に愛され、その想いを継ぐヨーコは芸術を通して、愛と平和を世界に訴えかけています。