2022.08.02
近代日本画壇の巨匠 川合玉堂
私達の住む日本は、四季が存在することもあいまって美しい自然の風景が様々な場所で楽しめる国だと思います。今回は、そんな日本の自然や風物を抒情豊かに描いた川合玉堂についてご紹介させていただきます。
伝統的な山水画から近代的な風景画へ
川合玉堂は、明治6年の1873年に現在の愛知県一宮市にあたる土地で生まれました。12歳頃から絵に親しむようになった玉堂は、京都で円山四条派の流れをくむ望月玉泉や幸野楳嶺に師事した後、狩野派の橋本雅邦の絵に一目惚れして東京に移住、雅邦のもとで研鑽を積んでいきました。また、雅邦の他に岡倉天心や横山大観らが共に創立した日本美術院にも参加していました。狩野派、琳派、西洋画などの研究を通して伝統的な山水画から近代的な風景画の世界へと画風を展開した玉堂の画業は70年にも及び、1957年に亡くなった際には日本画家の鏑木清方は「日本の自然が、日本の山河がなくなってしまったように思う」と言って嘆いたといいます。それ程に、玉堂の描く風景画は高い評価を得ていました。
強い郷愁を呼び起こされる玉堂の絵
四季折々の山河、動物、人間の姿を情感豊かに描き出し日本画壇の中心人物として活躍し、フランスからレジオンドヌール勲章、ドイツ政府から赤十字第一等名誉章を、そして文化勲章も贈られるという華々しい経歴を持つ一方で、私塾「長流画塾」を主催したり、東京美術学校日本画科の教授も務めたりと指導者として後進の育成にも励んでいました。
玉堂の作品は、同時代に生きた横山大観や川端龍子の作品に比べると大きな驚きや迫力という点では見劣りするかもしれません。しかし、日本の原風景とも呼ばれる玉堂の絵は、自然や人を深く愛し慈しんでいることが感じられ、強い郷愁を呼び起こされるような魅力を持っています。
明治、大正、昭和という激動と呼べる時代の移り変わり、そして玉堂自身も疎開したように二度の世界大戦を経験しているにも関わらず、あるいはそのような時代に生きたからこそ身近な日本の風景や人をこよなく愛したのかもしれないと思うと更に深い情緒を感じられる気がします。