作家・作品紹介

透明感のある『嶺男青瓷』を生み出した岡部嶺男

今回は、現代陶芸の第一人者として名高い「岡部嶺男(おかべ みねお)」をご紹介します。

地元の伝統技法から、多様に広がる嶺男の作域

岡部嶺男_織部焼

加藤嶺男(のちの岡部嶺男)は陶芸家「加藤唐九郎」の長男として生まれました。
嶺男は地元、愛知県の伝統技法を中心に、様々な作品表現へ作域を広げ、志野(しの)、織部(おりべ)、黄瀬戸(きせと)、灰釉(かいゆう)、鉄釉(てつゆう)など幅広い作品を製作しています。中でも織部や志野は独自性が強く、縄文など歪な形の作品が多く見られます。
個性的な作風から嶺男の虜になるファンも多く、今でも多くの収集家が嶺男の作品を求めています。


『永仁の壷』事件と独立

高い評価を受けていた嶺男ですが、1960年に事件が起きます。古陶器の贋作がつくられた『永仁の壷』事件が発覚したのです。
犯人は父の加藤唐九郎とされますが、長男の嶺男という異説もあり、真実は未だ不明です。
そして、この事件後に父「加藤唐九郎」と絶縁し、独立します。
独立後も意欲的な作陶姿勢は変わらず、嶺男は青瓷(せいじ)の研究を始めます。
嶺男の作り出す粉青瓷(ふんせいじ)は、しっとりと艶のある不透明な釉調色(ゆうちょうしょく)、翠青瓷(すいせいじ)は透明感があり青緑の釉色(ゆうしょく)が美しく嶺男独自の世界観を世に発信していきます。

彼が生み出した『嶺男青瓷』

窯変米色瓷

その中でも『嶺男青瓷』と呼ばれている窯変米色青瓷(ようへんべいしょくせいじ)は、今まで誰も成し得なかった黄褐色の独特の釉調と釉色の青瓷釉(せいじゆう)をまとう作品です。
この窯変米色青瓷では二重貫入(にじゅうかんにゅう)という技術が取り込まれています。
(二重貫入とは:ひび状に入った貫入の中に、多重的に生じる多角形の輪郭を持った貫入)


脳出血からの復帰と岡部嶺男への改姓

飴釉瓶

1978年には脳出血で入院し、右半身不随となりますが一命をとりとめました。
そして、加藤から岡部に改姓し、岡部嶺男として再スタートします。
その後、再起を誓って日本橋高島屋や松坂屋など百貨店にて岡部嶺男展などを開催し嶺男青瓷をたくさんの人に広めました。

この嶺男青瓷に私自身も惚れ込み、作品を見る度に惚れ惚れしてしまいます。
たくさんのファンを虜にしてきた岡部嶺男は1990年に70年の陶芸家人生に幕を降ろしました。

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