2022.02.01
エコール・ド・パリ モンマルトルの空気を描いた画家、モーリス・ユトリロ
19世紀後半から20世紀前半にかけて、パリ北部に位置するモンマルトルには多くの芸術家が集まり、後世に続く芸術作品が次々と誕生していきました。この界隈には、マネやルノワール、ピカソ、ロートレックといった芸術家たちが愛した酒場やアトリエが今も残ります。洗濯船、ムーランルージュ、そして飛び跳ねる兎の看板で有名なラパン・アジルもその一つです。現在は観光客向けの色が濃いエンタメスペースとなっていますが、当時は画家や詩人などが集まるシャンソニエでした。
アルコール依存症のリハビリから画家となる
モーリス・ユトリロはモンマルトルに生まれ育った画家です。生涯にわたって描いた絵は数千枚にもおよび、このラパン・アジルを題材にした絵だけでも400枚ほど描き残したと言われています。
ユトリロの一生は一見、不遇ととらえられても無理のないものでした。母のヴァラドンは美しいことで評判の恋多き女性で、ルノワールなどの絵のモデルも務めていました。ユトリロは彼女が16歳の時に私生児として産まれました。育児放棄をした母親からは充分な愛情を受けられず、祖母のもとで育ったユトリロは早くから精神を病み、10代でアルコール依存症になり入退院を繰り返します。酔って暴力沙汰を起こし、警察のお世話になることもしばしばでした。そんな中、医者の勧めでリハビリのために絵を描き始めたのが、ユトリロの画家としてのスタートでした。しかしリハビリのために書き始めた絵は、やがて酒代を稼ぐための手段となっていきました。
ユトリロの心の虚しさを表した『白の時代』
そんなユトリロの作品の中でも特に評価が高いのが、20~30代の『白の時代』と呼ばれる時期に描かれたものです。パリの建物は漆喰が使われているため、外壁が白い建物が立ち並んでいます。ユトリロは絵具に砂などを混ぜて、ただの白い壁にするのではなく、質感にもこだわってモンマルトルの風景をキャンバスに描いていきました。
ユトリロの絵には人物はあまり描かれておらず、寂しい街の風景は、埋められないユトリロの心の虚しさを表しているかのようです。ラパン・アジルは、そんなユトリロを受け入れてくれる場所だったのかもしれません。一見地味に見えるユトリロの作品も、こうした背景を知るとちょっと違った見方が出来てきます。
長らく結婚もせず過ごしてきたユトリロでしたが、51歳の時に12歳上の未亡人リュシーと結婚します。周囲からは猛反対されたようですが、結婚生活はうまくいっていたようです。ヴァラドンが亡くなってからは、家の敷地内にある礼拝堂でひたすら祈りを捧げる毎日を送っていたそうです。そんなユトリロも、1955年に71歳で亡くなりました。波乱万丈な青春を送っていたユトリロも、晩年は案外幸せだったのかもしれません。