作家・作品紹介

斎藤真一 瞽女の旅姿を哀愁的に表現した画家

斎藤真一 瞽女の旅姿を哀愁的に表現した画家

盲目の旅芸人 瞽女(ごぜ)

先日、久しぶりに訪れたミニシアターで映画『瞽女 GOZE』を観てきました。これは最後の瞽女と呼ばれる小林ハルの生涯を描いた作品です。生後3か月で光を失ったハルの過酷な一生を軸に、当時の瞽女の生活や巡業の様子、瞽女の世界の掟などがわかりやすく描かれている作品でした。
瞽女とは江戸時代から昭和の高度成長期まで活動していた、各地を旅して三味線を弾きながら、語り物や歌い物をうたった盲目の女性です。今日と違って医学や福祉制度などが遅れていた頃、何かの病気で目が不自由になった女性の職業といえば、鍼・灸・按摩で身を立てるか、唄と三味の芸を習って瞽女になるより他に道はありませんでした。瞽女は6~7歳の頃親方に入門し、いわゆる瞽女唄を教わり、厳しい修行と躾のもと20年近い年季奉公に耐えて、無事に修行を終えると「年明きぶるまい」が催され、一人前の瞽女として扱われました。
ラジオやテレビがまだ普及する以前、瞽女は農村部では農閑期にやってくる娯楽として、また瞽女の唄を聞かせると、蚕の糸が良く出るなどと言われ、歓迎されました。


斎藤真一 瞽女の旅姿を哀愁的に表現した画家

斎藤真一が描いた儚くも力強い瞽女の姿

斎藤真一(1922年~1994年)は、瞽女の旅姿を哀愁的に表現した画家です。1958年から2年間パリに留学していた斎藤は、藤田嗣治と親交を深めます。帰国に際して藤田から、「日本に帰ったら秋田や東北の良さを教えられ、自分の画風で描きなさい。」と勧められた斎藤は、次の夏に津軽を訪れると、宿の老人から瞽女のことを教えられ、一気に惹きつけられます。斎藤が取材を始めた1960年代は、すでに瞽女の数は激減していましたが、1964年に、高田瞽女の最後の親方である杉本キクエに巡り合います。その後10年以上にわたり、斎藤は休暇のほとんどをさいて越後に通い、瞽女が旅先の村々で決まって泊まる、いわゆる瞽女宿と呼ばれる農家を取材し、100人以上の瞽女の生涯やエピソードを記録しました。
斎藤が描いた、月明りや真っ赤な夕陽に照らされ、雪深い大地に身を寄せ合って歩き連ねる瞽女たちの姿は哀感に満ち、社会的弱者ゆえのはかなさを漂わせています。しかし同時に、大きく口を開けて歌う瞽女たちの姿からは、彼女たちの生きる情熱や凛とした力強さが伝わってきます。斎藤は瞽女たちから伝え聞いた話から、彼女たちの喜びや悲しみ、心象風景をキャンバスの上に残していったのです。また、斎藤の作品で特に目を引くのは、その鮮烈な赤色です。これは杉本キクエがまだ目が見えた頃に、母親に背負われて見た景色を思い出し、『夕日が赤い』と言った言葉を受けたものだそうです。


斎藤真一 瞽女の旅姿を哀愁的に表現した画家

後世に語り継がれる瞽女

高度経済成長と共に廃れていった瞽女の文化でしたが、この文化を継承していこうと上越市では演奏会が開かれたり、晴眼者の方が学校で瞽女唄を教える活動をしていたりするそうです。映画『瞽女 GOZE』のラストで流れた96歳の小林ハルの歌声は、鳥肌が立つほど力強いものでした。瞽女唄が絶えることなく、後世に語り継がれることを願ってやみません。

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