2020.07.07
「強い女性」の象徴 三岸節子
皆さん、三岸節子という作家をご存じでしょうか。
見るものを魅了し、他を圧倒する力強い作風。
今回は女性洋画家として、最も評価されている一人である三岸節子をご紹介させて頂きます。
波乱万丈
1905年、愛知県の織物工場を営む裕福な家庭に生まれた三岸節子は、幼いころから興味を持っていた絵の世界に没頭していきます。
1924年に現在の女子美術大学を卒業後、後に天才画家と言われた洋画家、三岸好太郎と結婚します。三人の子宝にも恵まれ、順風満帆な日々が訪れると思われた矢先、31歳の若さで好太郎が亡くなります。
そこから女手一つで三人の子育てをしながら試行錯誤の制作活動が始まります。
43歳で洋画家菅野圭介と「別居結婚」という形で再婚するも5年後にはその関係も解消。
その後南仏カーニュやヴェロンに約20年滞在し、帰国から数年後の1999年、94歳でその生涯を閉じました。
情熱の赤い花
三岸節子といえば、赤い花が有名です。
厚塗りで描かれた独特のタッチが、赤の持つパワーをよりいっそう強調させ、圧倒的な存在感を放ちます。
花を生命力の象徴と捉え、赤を使うことで命の力強さをより強調させていきました。
三岸は感性や本能に基づき、キャンバスに色をぶつけていきました。
例えば、茶色に塗られた花が時には緑に塗り変えられ、さらにその上に赤を乗せたりと、自身の瞬間的な感性で作品が変化していくことも珍しくありませんでした。
出品作のような大作でも一旦手もとに戻れば、完成後であってもその時の感性で手を加えていきました。
生涯最後の作品も花を描いています。花は生涯追い続けたモチーフで三岸節子そのものでした。
女性洋画家として初の文化功労者
三岸は若い頃から女性作家による様々な団体や協会の発起人として尽力し、常に女性作家の地位向上に努めてきました。その功績が認められ、1994年に文化功労者に顕彰されます。これは日本人女性洋画家としては初の快挙で、まさに女性洋画家のトップランナーとして今なお輝き続けています。
燃えるような生涯を送った三岸節子。何かに迷ったり、落ち込んだり、後押ししてほしい時、是非、三岸節子の赤い花をご覧になられてはいかがでしょうか。きっと赤い花が放つパワーに力をもらえることだと思います。